平和公園

長崎の旅です。

「古志」長崎句会の前に平和公園を訪れました。

句会の模様はすでに記事にしています。

「平和の泉」です。

水を求めて苦しみ、亡くなっていった方々への鎮魂の泉です。

「あの日のある少女の手記」の文章が刻まれています。当時9歳だった少女の手記です。

こちらは「長崎の鐘」。

爆心地の浦上には当時、軍需工場がいくつもあり、

そこで働いていたのは、学生など若者たちでしたが、

みんな原爆の犠牲になりました。

その慰霊の鐘です。

爆心地には当時、浦上刑務所がありました。

その遺構が保存されています。

職員や受刑者が犠牲になりました。

鉄筋が熱によって曲がりくねっています。

原爆の威力の凄まじさを物語っています。

そして平和祈念像。

被爆10周年に建てられました。

像の高さは9、7メートル。台座と合わせると約14メートル。

とても大きな像です。よく知られているように、

天を指す右手は原爆の脅威を示し、

水平に伸びた左手は平和を表します。

おだやかに瞳を閉じていますが、これは原爆犠牲者へ祈りを捧げる表情です。

はじめて平和公園を訪れたのは小学生のとき。以来、何度か訪れていますが、

今回あらためて平和というものを考える機会になり、

みずからのありようを考え直す機会にもなりました。

私は戦争体験者ではありませんが、年齢を重ねるに従って、

平和への責任をより重く感じるようになってきました。

つづきはまた明日。


どうぞ良き一日をお過ごしください、

大谷弘至 official site

俳句「古志」主宰 和光大学俳句部顧問

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