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本日YouTubeにて長崎句会をおこないました。(限定公開のため視聴できません)

五周年を記念して、ほんらいは四月に長崎でおこなうはずでしたが、

こうした状況のため、オンラインによる句会になりました。


米山瑠衣支部長、林弘美前支部長を中心に充実ぶりがうかがえる句会でした。

みなさんの句です。


  家に根を張つてだらだら夏休み 真田順子

  積木積む額の汗に気づかずに 徳久綾子 

  汗を拭くひまもなきとや防護服 橋口文  

  汗の上に汗働く汗のひかぬまま 林弘美

  ぎこちなく扇子持つ手や初棋聖 百田直代

  火取虫ちりとち一杯ざつと捨て 米山瑠衣

  売られゆく金魚尾をふりまくれなゐ 丹野麻衣子

  火蛾もまたものに憑かれし火の過客 大谷弘至


思い切りのよい詠みぶりで、勢いのある句がどんどん出てくる句会です。

これは長崎句会ならではの良さだと思いますので、この調子で研鑽していただければ、よりいっそういい句会になっていくのではないかと思います。


五周年まことにおめでとうございます。

そして益々のご発展をお祈り申し上げます。

古志 | 俳句結社「古志」のホームページ

・今月号の特集は「ポストコロナ」です。「ポストコロナ社会と結社の未来」と題し、先月号に続き、大谷弘至主宰にインタビューを行いました。・特別企画「ライバル競詠 鑑賞と批評」では、6月号の「ライバル競詠」に掲載した6名のかたの新作20句について、3名のかたに鑑賞と批評をお寄せいただきました。・「古志俳論賞」、「飴山實俳句賞」の〆切りが8月26日(水)必着となっております。詳細は誌面に記載しておりますが、みなさまのご応募お待ちしております。大谷弘至主宰による第五回YouTube句会を開催します。古志会員であれば、どなたでもご参加いただけます。チャンネルはこちらです。https://www.youtube.com/channel/UC0P2wNoOR-kX9aLMO84LG7Q?view_as=subscriber第四回配信:7月25日(土)14:00〜16:00(予定)※機材トラブルなど技術的問題により配信時間が前後する場合があります。参加ご希望の方は7月22日(水)までに下記アドレスまでお申し込みください。(氏名を明記してください)koshionline@yahoo.co.jp※人数制限は設けませんが、参加申込多数の場合は先着順となる場合があります。【句会】3句出句・3句選(当季雑詠)1句座。大谷主宰による講評。【投句】事前投句。前日24日(金)18時までに3句、koshionline@yahoo.co.jpまでメールで送ってください。(注意:Wordなどは使用せず、メール本文に直接句を記すこと。作者名を明記すること。新作未発表句に限ります)【選句】当日25日(土)13時頃に担当者から清記された出句一覧がメールで送られてきます。14時までに3句選句の上、koshionline@yahoo.co.jpまでお送りください。(スムーズな披講と点盛りのため清記番号と句を必ず記してください)【配信】25日(土)14:00頃より配信開始します。互選の披講→主宰選の披講→主宰の講評・質疑応答という流れになります。披講の際の名乗りは再生ページに表示されるチャットをご利用ください。ご自身の句が読みあげられたら清記番号とお名前(俳号)を書き込んでください。また、質問などがあれば、質疑応答の際に随時チャットで書き込んでください。【会費】2000円。「古志社」まで「郵便振替」にて12月18日(

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「一茶から考える現代」(抄)その3  大谷弘至(聞き手 辻奈央子・平野皓大)


■ことばのゆくえ


大谷 一茶のなかで印象にのこる一句を挙げるとしたら何になりますか?

平野  蜻蛉の尻でなぶるや角田川

隅田川は生活空間として身近にあったと思いますが、この句は実感がある句というより

も、言葉で作られた調子を強く感じます。別案が存在する、とくに角田川ではなく大井川にした句が存在するのも、生活空間というより言語の空間で書かれたことを示しているのではないでしょうか。

また同時期の〈秋風に歩行て迯る螢かな〉にも似たような、実感のある描写のように見

て、実際には違う部分があると思います。同じ隅田川を句材にしている〈春風や鼠のなめる角田川〉の句は、芭蕉の〈氷苦く偃鼠が咽をうるほせり〉を下敷きにしている(との指摘がある)ため、生活空間の隅田川と違い、言語空間の角田川で作られているのが分かります。

生活空間として実感のあると思った句は〈はつ雪や吉原駕のちうをとぶ〉のような句で

す。初雪はすこし舞台設定っぽいですが。

実感がある隅田川の句は秋桜子の〈夕東風や海の船ゐる隅田川〉(『ホトトギス雑詠選集

春』朝日出版 1987)のような句です。

大谷 一茶と秋桜子のちがいでいえば、この秋桜子の句は写生句ですね。一茶には写生句を作る意識はありませんでした。

一茶の場合、実際の光景がかなりデフォルメされているように思います。それは浮世絵の影響ではないかと思います。たとえば〈なの花のとつぱづれ也ふじの山〉であったり、有名な〈蟻の道雲の峰よりつづきけん〉であったりは、まさしく浮世絵的なデフォルメではないでしょうか。同時代の北斎の浮世絵なんかと似たような構図で、現実的にはありえないようなアングルで世界をとらえています。〈はつ雪や吉原駕のちうをとぶ〉にしても、そんな感じがあります。いっぽうでこのときの秋桜子はあくまでも写実的表現で現実的な光景を詠もうとしています。

明治時代になって、俳句では正岡子規が、小説では坪内逍遥が写実主義を唱えて、江戸後期の俳諧や小説を否定します。浮世絵も国内では芸術的には評価されていませんでした。こうした流れは非常におおざっぱにいえば、新政府の欧化政策に乗ったものです。しかし、皮肉なことに浮世絵や一茶の句は西洋の人たちに知られることで、日本でもその価値が上がりました。写実的な作品よりも海外で評価が高い。そこには普遍的な芸術を考えていくうえで、なにか鍵となるものがあるように思います。

写実することで生まれる実感よりも言語空間として創出される実感のほうが、よりリアリティがある場合があるということではないでしょうか。

平野 浮世絵の影響ということで色々と納得しました。言語空間として創出された方が、リアリティを持つことは往々にしてあると思います。写実主義を知っている私たちだから、写実主義と対比して言語空間的だ、と言うのが可能なだけで、そもそもとして句のリアリティはあったはずです。しかし同じデフォルメでも、誓子の「写生構成」のように、写実主義を基盤にして生まれた手法は、実景を情報として組みたてるという点で、実感が薄くなっているかもしれない。頭ではそう理屈づけてしまいます。

辻  初蝶の一夜寝にけり犬の椀

動物の俳句は一茶ならではのものですが、蝶の俳句はひときわ多いように思います。夜にもかかわらず蝶のいるのが見えたほど観察力の鋭い一茶。一茶にとって蝶は単なる虫ではなく、境涯と重ね合わせると、自分の分身のように思え、つい気になる存在なのではないでしょうか。あっちへひらひら、こっちへひらひらと行ったり来たりする蝶のように、一茶も奉公や俳句行脚に出て、不安定な生活の中で眠りにつくことも多かったことでしょう。その日暮らしに見える蝶も、今夜は犬の椀という寝床を見つけることができたのだなという一茶の安堵感が伝わります。ほかの蝶の句、〈世の中や蝶のくらしもいそがしき〉も印象的な句です。蝶も短い人生を懸命にいそがしく生きている、自分もいそがしい世の中であっても、欲をはらず、あるがままに生きたいという思いでしょうか。この句でも蝶は人間の付属品ではなく、れっきとした主役です。それどころか逆に人間が見習わなければならない存在となっています。蝶は一茶が幼い頃からの友達でしたが、大人になってからは頼りがいのある同志のようにも見えてきます。

大谷 おっしゃるように蝶が分身のように詠まれていますね。一茶自身の姿のようです。〈犬の椀〉というのが、よるべなきものの悲哀を感じさせます。危うくもあり、悲惨でもあり、それでもなお究極的なところでは安心立命があるという、読んでいて不思議な感覚になる句です。

これも現実にそういう光景を目撃して写実で詠んだというよりは、一茶の「淋しみ」が絞り出した一句だという感じがしますね。

 一茶のような句を目指したいと思いますが、平易な言葉を取り入れると、子どもっぽい、つたない句になってしまいます。何に気を付けたらいいでしょうか。

大谷 挙げていただいた〈世の中や蝶のくらしもいそがしき〉などは辻さんの句風にも相通じるところがあって、なるほどなあと思いました。

平易に詠むのは難しいですね。ことばを易しくすると、かえって狙いがあらわになってしまって、味気なくなったり、子どもっぽくなって深みがなかったりということに往々にしてなりがちです。だからといって、ことばを難しくすれば、いろいろと覆い隠せると思うかもしれませんが、わかる人には底の浅さがばれてしまいます。やはりなるべく平易に詠んだほうがいいと思います。これまで拝見してきたかぎり、辻さんも平易な表現のほうが、より持ち味が活かせるのではないかと思います。

おそらく原因と結果が逆で、平易なことばを使っているから子どもっぽくなる、つたなくなるというよりは、じぶんのなかに子どもっぽいところ、つたないところがあるから、それがあらわになってしまうのだと考えたほうがいいかもしれません。それは辻さんだけでなく、ぼくも含めてすべての場合にあてはまることではないでしょうか。人間を磨くしかないということだと思います。

 「淋しみ」のお話に出た、人間の本質に迫ることにも通じますが、俳句を向上させるにはやはり自分と向き合い、自分のつたない部分を磨いていくほかありませんね。人間を磨くことは、人間にとって最大のテーマの一つだと思います。俳句を生涯やっていこうと覚悟する身なら、自分を磨くことも覚悟してやっていかねばならないとあらためて思います。

平野 活字文化の大衆化についてですが、説経節などの語り物から、次第に読み物へ変化していったと聞きます。俳諧がどう関わってくるか、一茶はどのような流れ・時代で詠んでいたか、口語調と繋がりがあるのか、など気になります。

大谷 一茶より前の時代の庶民は基本的には耳で享受していました。時代劇でよくあるように、お触れなどの法令も誰かが声に出して読んでくれることで理解していたと考えられます。一茶の頃には庶民の識字率は非常に高くなっていますし、さまざまな娯楽や実用の本が出版されています。俳諧の入門書もたくさん出されています。〈読書する大衆〉が誕生したことを意味します。このことが文学を変質させたことは先にいったとおりです。

一茶の時代の文章がほかの古い時代のものにくらべて比較的平易に感じられるのは、しゃべるように書くという意識があったことによると思います。識字率が高かったとはいえ、当時の庶民に『源氏物語』がすらすら読めたとは考えられません。芝居の科白であったり、講談であったり、そうした庶民がふだん耳なじんだ調子や語彙で書かれていることによると思います。

現代でも俳句の本はたくさん出版されていますが、入門書などはとくに「です、ます」のしゃべり口調で書かれたものばかりになっていますね。ここ二十年くらいで急激に増えているように思います。しゃべり口調のものでないと読んでもらえない時代になっているのです。ちなみにこの企画がインタビューの形をとっているのもそのためです(笑)。

そのうち俳論や評伝なんかもしゃべり口調で書かれるようになるのではないでしょうか。かつては硬質なものを咀嚼できる読者がある程度の数いたはずですが、いまは非常に少なくなっているようです。

ことばは時代を経るにしたがって平易なものになり、文体がより機能的で普遍的なものになっていくことは自然の摂理だと思うのですが、いっぽうで読者層の変容はそのうち出版物を空疎なものばかりにしてしまう危険性があります。さきほどのいいかたをすれば、平易な言葉で書かれた子どもっぽい内容のものばかりが世の中にあふれてしまう。

現代のこうした俳句をとりまく状況は行き過ぎた大衆化のあらわれで、非常に危機的な状況であると感じています。

(了)


【予告】「古志」8月号では「ポストコロナ社会と結社の未来」と題して引き続きインタビューを掲載します。ぜひ御覧ください。


※このインタビューは新型コロナウイルスによる緊急事態宣言およびそれに伴う外出自粛要請を受け、当初の予定を変更してEメールによるやりとりによって構成しています。

※転載にあたっては聞き手の辻奈央子さん(「古志」編集長)、平野皓大さんの許可を得ています。

※「古志」入会、俳誌購読のお申し込みは下記HPまでお願いいたします。

古志 | 俳句結社「古志」のホームページ

大谷弘至主宰による第五回YouTube句会を開催します。古志会員であれば、どなたでもご参加いただけます。チャンネルはこちらです。https://www.youtube.com/channel/UC0P2wNoOR-kX9aLMO84LG7Q?view_as=subscriber第四回配信:7月25日(土)14:00〜16:00(予定)※機材トラブルなど技術的問題により配信時間が前後する場合があります。参加ご希望の方は7月22日(水)までに下記アドレスまでお申し込みください。(氏名を明記してください)koshionline@yahoo.co.jp※人数制限は設けませんが、参加申込多数の場合は先着順となる場合があります。【句会】3句出句・3句選(当季雑詠)1句座。大谷主宰による講評。【投句】事前投句。前日24日(金)18時までに3句、koshionline@yahoo.co.jpまでメールで送ってください。(注意:Wordなどは使用せず、メール本文に直接句を記すこと。作者名を明記すること。新作未発表句に限ります)【選句】当日25日(土)13時頃に担当者から清記された出句一覧がメールで送られてきます。14時までに3句選句の上、koshionline@yahoo.co.jpまでお送りください。(スムーズな披講と点盛りのため清記番号と句を必ず記してください)【配信】25日(土)14:00頃より配信開始します。互選の披講→主宰選の披講→主宰の講評・質疑応答という流れになります。披講の際の名乗りは再生ページに表示されるチャットをご利用ください。ご自身の句が読みあげられたら清記番号とお名前(俳号)を書き込んでください。また、質問などがあれば、質疑応答の際に随時チャットで書き込んでください。【会費】2000円。「古志社」まで「郵便振替」にて12月18日(金)までに年内参加分をまとめてお振込ください。お振込の際、必ず句会名と参加回数を通信欄に明記してください。振込先 古志社口座番号 00100-7-512480(郵便振替)※チャットを利用する場合にはYouTubeアカウントを作成する必要があります。無料でかんたんに行なえます。下記をご参照ください。https://support.google.com/youtube/answer/161805?co=GENIE.Platform%3DD

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「一茶から考える現代」(抄)その2  大谷弘至(聞き手 辻奈央子・平野皓大)


■旅の変容


平野 角川「俳句」の一茶の連載について、一茶の生まれた土地と家から始まっているのがとても印象的でした。土地や家は特権的に、過去と自分を繋げる側面を持っていると思うからです。

近世の家空間では個人よりも集団としての家が重視され、書かれていらしたように、自我が生まれる余地がなかったはずです。確かにそうであるとして、現在は土地にも家にも縛られいません。それは共同性にあまり依拠しないかたちで、個人として生きているという意味です。このとき俳句は、共同体が人びとの根底にあった時代から、どのように変化しているのでしょうか?

大谷 現代では良くも悪くも、だれもが根無し草ですね。その結果、旅も自我を求めるものから観光に変わっていったように思います。芭蕉の頃までは旅をするのは家に縛られないためでした。つまり階級や当時の封建的な秩序を断ち切って自由を得るためであり、自我を求めるためのものでした。

ところが一茶の時代には変化していきます。庶民が旅をするようになりました。観光が誕生したんですね。観光案内の本が出版されているくらいです。大衆の消費活動に旅が組み込まれるようになりました。

俳句でいえば、名も売れていない俳諧師たちが日本中あちこちを行脚して回っています。それは収入を得ることが目的でした。幕末には有名俳人の名を騙るような者まで続出していたようです。一茶の時代も似たようなものだったでしょう。それだけ俳諧師の需要があったということでもありますし、旅が気軽なものになっていたことを意味します。

たしかに現代では封建的な家や土地の縛りはなくなりましたが、みずからを依拠する共同体がなくなったわけではなくて、それが家や土地から大衆へとステージが移行したのだといえるかもしれません。

たとえばわれわれが海外旅行に行く理由はなんでしょうか。いろいろあると思いますが、典型的なことでいえば、頑張って働いて一年間貯めたお金で家族で海外旅行に行って現地で消費しまくるといったことがあるのではないでしょうか。

これはそうしたモデルケースを刷り込まれていて、だれかに強制されているわけでもないんですが、みんながやっているからという理由で慣習的にそれを行っています。たしかにそれはそれで行けばそれなりに楽しめます。しかし自我をもった行動かといわれれば、そうではないように思えます。

たとえば、みんながタピオカミルクティーを飲むようになったら、長時間お店に並んででもタピオカを飲む。家や土地には縛られていないですが、みんながやっていることにみずから縛られる。

大衆および、大衆社会が生みだす空気みたいなものにアイデンティティを依拠するようになっています。今回の新型コロナウイルスによる危機で気づかされた部分、変わっていく部分もあると思いますが、残念ながら今後もそういったことは根本的には変わらないように思えます。

だから大衆社会に依拠できない人にとっては、とても生きづらい世の中になっています。家や土地からは逃げられますが、大衆からは逃げられない。昔の世捨て人以上の厳しさをもって生きないと難しいですね。

平野 物ではなく情報を消費しているということですね。火事を直接目にするよりも、新聞で記事として見た方が実感を持つ、という話を聞いたことがあります。これもまた「生きている実感」に関わってくることだと思います。

大谷 そう思います。だれもが根無し草なので、現代社会では個々人の差がみえにくい。実際には社会的・経済的格差もあるし、それぞれにいろんな人生があり、違いがあり、ルーツがあるけれど、それが日常ではみえにくい社会になっています。大衆的に情報を消費するうちにみえなくなっているところもあるように感じます。

 角川「俳句」の連載で、一茶が「みちのくの旅」で感じた「淋しみ」に着眼されたことは大いなる発見だと思いますが、「淋しみ」を普遍的に捉えた句にするにはどうしたらいいでしょうか。

大谷 あまり知られていないことですが、二十代の頃、一茶はみちのくを旅しています。その時期はまだまだ天明の大飢饉の被害が残っているころだったと考えられます。自然災害、それにつづく失政による人災によって、多くの人々が命を失い、生きることに苦しみました。どこか現代と重なるところがあります。

そんななか一茶は旅をしていて、その足跡が断片的に残っているのですが、そこから見えてくるのは「淋しみ」です。詳しくは連載の方を読み返していただけるといいのですが、一茶の「淋しみ」はその旅で出会った光景から受けた直接的、感情的な「淋しみ」だけでなく、後の一茶の句にみえてくるような人間(あるいは生き物)の根源である孤独としての「淋しみ」であったと思うのです。

われわれは九年前に大震災を経験し、その後も毎年のように災害を受けつづけ、いま新型コロナウイルスの蔓延に苦しんでいます。若き日の一茶が感じた「淋しみ」をだれもがまさにいま感じているところです。

そこで、それをどう俳句にしていくかというところですね。やはり表面的な「淋しみ」で終わってはいけないと思います。だれもが感じている感情をいまさら俳句にしたところで、ただごとにしかなりません。人間の本質に迫るような句作りが必要ではないでしょうか。

 自分の感じた「淋しみ」は、俳句を作る人間としては一歩も二歩も踏み込んで、それをしっかりと受け止めて、自分ならではの俳句にすることが大事ですね。人間の本質に迫るということは当たり前の行為のようですが、意外とできていないことだと気づきました。


(3へつづく)


※このインタビューは新型コロナウイルスによる緊急事態宣言およびそれに伴う外出自粛要請を受け、当初の予定を変更してEメールによるやりとりによって構成しています。

※転載にあたっては聞き手の辻奈央子さん(「古志」編集長)、平野皓大さんの許可を得ています。

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大谷弘至主宰による第五回YouTube句会を開催します。古志会員であれば、どなたでもご参加いただけます。チャンネルはこちらです。https://www.youtube.com/channel/UC0P2wNoOR-kX9aLMO84LG7Q?view_as=subscriber第四回配信:7月25日(土)14:00〜16:00(予定)※機材トラブルなど技術的問題により配信時間が前後する場合があります。参加ご希望の方は7月22日(水)までに下記アドレスまでお申し込みください。(氏名を明記してください)koshionline@yahoo.co.jp※人数制限は設けませんが、参加申込多数の場合は先着順となる場合があります。【句会】3句出句・3句選(当季雑詠)1句座。大谷主宰による講評。【投句】事前投句。前日24日(金)18時までに3句、koshionline@yahoo.co.jpまでメールで送ってください。(注意:Wordなどは使用せず、メール本文に直接句を記すこと。作者名を明記すること。新作未発表句に限ります)【選句】当日25日(土)13時頃に担当者から清記された出句一覧がメールで送られてきます。14時までに3句選句の上、koshionline@yahoo.co.jpまでお送りください。(スムーズな披講と点盛りのため清記番号と句を必ず記してください)【配信】25日(土)14:00頃より配信開始します。互選の披講→主宰選の披講→主宰の講評・質疑応答という流れになります。披講の際の名乗りは再生ページに表示されるチャットをご利用ください。ご自身の句が読みあげられたら清記番号とお名前(俳号)を書き込んでください。また、質問などがあれば、質疑応答の際に随時チャットで書き込んでください。【会費】2000円。「古志社」まで「郵便振替」にて12月18日(金)までに年内参加分をまとめてお振込ください。お振込の際、必ず句会名と参加回数を通信欄に明記してください。振込先 古志社口座番号 00100-7-512480(郵便振替)※チャットを利用する場合にはYouTubeアカウントを作成する必要があります。無料でかんたんに行なえます。下記をご参照ください。https://support.google.com/youtube/answer/161805?co=GENIE.Platform%3DD

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「古志」7月号、特集「一茶」に掲載されたインタビュー企画「大谷弘至主宰インタビュー 「一茶から考える現代」」を抄出して転載します。

あらたに注をつけて補足していますので、すでに誌面でご覧になった方もあらためて読んでいただけたらと思います。

YouTube「「古志」最新号を読む」でも取り上げていますので、併せてご視聴ください。


今回の主題は、一茶の時代にはすでに近代化がはじまっていたということ。そのため現代社会の諸問題の萌芽がすでに一茶の時代にみられるということです。

原稿を作ったのが4月頃ということもあり、コロナ禍をふまえたものになっています。

まもなく発行される「古志」8月号では引き続き「ポストコロナ社会と結社の未来」というテーマで掘り下げていますので、こちらのほうもぜひご覧ください。


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「一茶から考える現代」(抄)その1  大谷弘至(聞き手 辻奈央子・平野皓大)


■大衆化社会と「生きている実感」

大谷 新型コロナウイルスの蔓延でさまざまな社会的な問題が顕在化しましたが、気になったことはありましたか?

 身近で言うと、デマや噂が気になりました。デマだとわかってからもいまだに尾を引いているのが、トイレットペーパーの買い占めです。在庫はあると報道されているにも関わらず、店頭に出た途端に買い占めが始まるので、私はこの二ヶ月ほど自宅近くの店でトイレットペーパーを見たことがありません(四月上旬現在)。皆が一斉に買うのをやめないと、この騒動は収まらないでしょう。自分一人が買うのをやめても意味がないだろうという気持ちからでしょうが、その気持ちは、自分一人が出かけても影響ないだろうというものに通じ、新型コロナウイルスを蔓延させることにもつながります。個が集まれば集団となり、良い面にも悪い面にも作用します。今回の騒動は、「社会の中の自分」であることを考える機会にもなったのではないかと思います。

大谷 個々には頭脳があって、知性があって、理性があるはずなんですが、それこそウイルスに頭脳を支配されたかのように動いてしまう。集団というレベルで俯瞰してみると完全に機能不全に陥ってしまいました。集団になると正しい判断ができなくなる。

ただ、このことは緊急事態だからこそ、よりはっきりと見えてきただけで、実際にはふだんでもいろんなシチュエーションで起きていることだと思います。これは以前、「古志」二十五周年記念大会のおりに講演させていただいた内容とも重なることです。

とはいえ、現実的に解決するのは非常に難しい問題だと思います。デマを流した人たちはともかく、買い占めをしている人たちの大半は被害者でもあるので、かれらを非難するだけでは解決にはなりません。おっしゃるように「社会の中の自分」ということをそれぞれが冷静に考えるしかないと思います。

 また、デマや噂を見極めるには、日頃から自分の感覚を磨くことが大事だと思いました。今やわからないことがあれば、ネットで検索するのが日常となっていますが、正誤があやふやだったり、フェイクニュースが多かったりするのが常です。自分の感覚を研ぎ澄ませて情報を取捨選択するとっさの判断が必要だとあらためて思いました。

大谷 ネットもそうですが、今回、テレビなどのマスメディアがいかに機能していないかが非常にはっきりしました。結果的に買い占めを煽ってしまったり、三密を守れなかったり、マスメディア自体がいちばん混乱していました。視聴率やスポンサーを第一に、大衆を喰い物にすることばかり考えてきたことのツケでしょうね。

いちはやく多くの情報が集まる機関であるわけですから、本来いちばん冷静かつ迅速に動かなくてはいけない立場だと思うのですが、世間が対策を取り始めた頃になってもテレビ局には危機意識すら感じられませんでした。ふだんどおりに番組を流していました。大衆を相手にするうちに大衆的なものにどっぷり浸かってしまい、みずから考えることを忘れてしまっていた印象です。

 大衆を相手にするということは難しいことです。発信者は反対意見やクレームを恐れ、まわりの顔色を伺いつつ、ある程度多くの大衆が納得する考えをまとめがちですが、これだという芯の通った、ぶれない考えを示せば大衆はついていくものです。今回、これは政府にも同じことが言えると思いました。

大谷 こうしたことは一茶の時代に生まれた大衆というテーマとつながっていきます。日本における大衆の起源を考えると一茶の時代に行き着きます。一茶の時代、文化文政の頃に大衆が勃興しました。平和な時代が続き、庶民にあるていどの経済的余裕が生まれたのです。その結果、大衆文化が確立しました。浮世絵にせよ、小説にせよ、芸術や文学が大衆向けに作られるようになりました。俳諧にしても、それまでは文学を愛好する一部の階級の人びとだけのものだったのですが、大衆が享受するようになったのです。それは文学の質を大きく変化させました。ある面ではそれを進化と捉えてもいいと思います。ただ、問題は大衆が求めるものがウケるようになり、それに応じて作品が作られるようになったことです。芭蕉の時代と一茶の時代の俳諧の質的変化はそこにあると思います。一茶の時代から俳諧(俳句)もまた大衆に商品として消費されるようになったのです。(注・文化文政時代の文学や芸術がほかの時代のものにくらべて評価されてこなかった大きな原因はこの点にあると思います)

さっきいったように、集団になると人は正常な判断ができなくなることがあります。(注・みんながとびつくものにとびついてしまう。衆愚の状態。)現代ではそこにマスメディアも介在してきます。マスメディアがしっかりしているならばよいのですが、そうでないことは今回の新型コロナの件でも明らかです。本当にすばらしい芸術や文学がどこにあるのかということは、いっそう見えなくなっていると思います。

 これまでもマスメディアはインターネットに脅かされたりなどし、利用者離れが叫ばれていましたが、ここへきて新型コロナウイルスの騒動です。緊急時に力が発揮できなければ利用者はさらに離れるでしょう。まさに今マスメディアの力が試されていると思います。こうした状況でわれわれも信じられるメディアや情報を見極めることが大切です。

平野 俳句の現状の薄っぺらさを考えてみたとき、はじめ頭に浮かんだのは「生きている実感」の薄さと、関連しているのだろうかということでした。東京に均質化された景色がつづいて、土地の文脈と切り離された機能重視の建物が並んでいる。そうした風景の中で生活しているのは、自分自身まで単純化されてしまう気がして、生活に物足りなさを感じます。

どうすれば生活に厚みが生まれるのかを考えてみたところ、自分の答えの一つとして、過去の積み重ねと、自らを接続することに至りました。歴史のダイナミズムの中に、自分が幅を持っていると思い込む事で、より現実に直接触れることができるのではないか。その点で俳句を書く行為は自分に必要になります。

しかし、現在の俳句は商業ベースに機能が重視され、簡単につくれるという点ばかり、焦点を当てられています。季語は歳時記というカタログから、必要に応じて拾ってくるようで、過去の積み重ねと自分を繋げてくれるものでは、ないのかもしれません。季語を詠むことで「生きている実感」を得ることは可能でしょうか。

また、例えば盆栽は収縮された風景を表現しながら、身の回りにある自然そのままとは違い、人工化や省略が行われています。つまり、コードの中で人間が構築した人工の自然と言えます。俳句も同じ収縮がされていると考えています。そのとき季語に実在性はあるのでしょうか。現実を写し取った記号として、現実と乖離してしまっているのではないか、そして乖離しているからこそ消費できるのではないでしょうか?

大谷 「生きている実感」の薄さというのは、ぼくも感じるところす。とくに平野さんは学生なので、それをより鋭敏に感じとっているのではないかと思います。ぼく自身は高校生の時にそれを強く感じて、高校を中退しました。毎日ひたすら受験へ向かって変化のない日々が続き、人間の価値が偏差値で決められるシステムに組み込まれてしまうことに耐えられなかったのです。

その後、アルバイトで魚屋に入りました。そこで日々、大量の魚を捌いたのですが、例えばおなじ鯛であっても、その一匹一匹の魚の顔に違いがあることに気づいたんです。吊り目であったり、タレ目であったり、おでこがはっていたり、下顎が出ていたりと、よくみるとおなじ鯛でも顔がぜんぜん違う。一匹として同じ顔がないんです。それ以来、かれらは海の中でどんな暮らしをしていたんだろうかと想像するようになりました。そうした命を頂くことで自分が生かされていることに気づいたことで、すこしだけ「生きている実感」を得られるようになりました。(補足・お客さんを相手にすることで、社会との結びつきも得られました)

スーパーでは魚は切り身になった状態で売られていることが多いですね。ですので、魚の顔の個性なんかは、ふだんなかなか実感しにくい部分だと思います。均質化された現代の生活環境のなかでは、気づくことができないことがとても多い。しかし、そんな生活にあっても、俳句を詠むことをとおして、季語を意識することをとおして、そうしたものに気づくことができるのではないかと思います。ぼくが魚を捌いていて気づいたようなことをことばで形にしていくのが、俳句のひとつのありようではないかという気がします。

均質化された世界のなかに埋もれてしまっていること、みんなのなかで意識されなくなっていることを素手で掴みあげてくるような力強さがいまの俳句には必要なのではないかと思います。

盆栽に詳しいわけではありませんので、盆栽を例に正しいことがいえるかどうかわからないのですが、俳句が盆栽のようになってしまっていることが、最近の俳句の薄っぺらさにつながっていると思います。

たしかに俳句も人工的に収縮する過程を踏むと思いますが、本当にいい俳句であれば、そこから爆発があるはずです。あたらしい宇宙が生まれるようなビッグバン的なものです。なんだか岡本太郎みたいで申し訳ないですが、感覚的に伝わってくれればと思います。詳しくないのでわかりませんが、やはりすぐれた盆栽にも爆発があるのではないでしょうか。

一茶でいえば〈露の世は露の世ながらさりながら〉は爆発していると思います。〈さりながら〉のところで爆発しているのです。いったん世界が一粒の露に収縮されながらも、収縮したぶん、反動するエネルギーがある。近年の俳句が薄っぺらいのは収縮だけしかしていないからだと思います。

だいぶまえですが、ぼくが尊敬するギタリストが最近のロック・ミュージックについて、「ロックはできているけど、ロールができていない」といった内容の話をしていましたが、俳句もそんな感じじゃないでしょうか。ちなみにロックするのはかんたんらしいですが、ロールさせるのはとても難しいらしいです。一茶でいえば〈さりながら〉がロールの部分だと思います。

俳句も音楽もどんどん小さくなっていて、それで満足している、もしくはそれで妥協せざるをえない状況に陥っているのではないでしょうか。問答無用で人の心を鷲掴みにするような爆発が必要だと思います。

平野 爆発という感覚は難しいですね。形式化した俳句を内側から食い破っていく、そんなエネルギーのことでしょうか。そのように解釈したとき、反動するエネルギーを意識的に作りあげることは可能でしょうか。エネルギーを持った句とは、無意識のうちに偶然出会うしかないのではないか、と考えてしまいます。ただ、ロールをしようと強く心に抱かなくては、一生出会えないものでもあると思います。 

大谷 そのとおりだと思います。意識しているからといって、必ず生まれるかといえば、そうではないと思いますが、しかしながら、ふだんから意識しておかないと永遠に生まれないと思います。型どおりの俳句は簡単に作れるかもしれませんが、ほんとうにいい俳句はなかなか作れないものです。

(2へ続く)


※このインタビューは新型コロナウイルスによる緊急事態宣言およびそれに伴う外出自粛要請を受け、当初の予定を変更してEメールによるやりとりによって構成しています。

※転載にあたっては聞き手の辻奈央子さん(「古志」編集長)、平野皓大さんの許可を得ています。

※「古志」入会、俳誌購読のお申し込みは下記HPまでお願いいたします。

古志 | 俳句結社「古志」のホームページ

大谷弘至主宰による第五回YouTube句会を開催します。古志会員であれば、どなたでもご参加いただけます。チャンネルはこちらです。https://www.youtube.com/channel/UC0P2wNoOR-kX9aLMO84LG7Q?view_as=subscriber第四回配信:7月25日(土)14:00〜16:00(予定)※機材トラブルなど技術的問題により配信時間が前後する場合があります。参加ご希望の方は7月22日(水)までに下記アドレスまでお申し込みください。(氏名を明記してください)koshionline@yahoo.co.jp※人数制限は設けませんが、参加申込多数の場合は先着順となる場合があります。【句会】3句出句・3句選(当季雑詠)1句座。大谷主宰による講評。【投句】事前投句。前日24日(金)18時までに3句、koshionline@yahoo.co.jpまでメールで送ってください。(注意:Wordなどは使用せず、メール本文に直接句を記すこと。作者名を明記すること。新作未発表句に限ります)【選句】当日25日(土)13時頃に担当者から清記された出句一覧がメールで送られてきます。14時までに3句選句の上、koshionline@yahoo.co.jpまでお送りください。(スムーズな披講と点盛りのため清記番号と句を必ず記してください)【配信】25日(土)14:00頃より配信開始します。互選の披講→主宰選の披講→主宰の講評・質疑応答という流れになります。披講の際の名乗りは再生ページに表示されるチャットをご利用ください。ご自身の句が読みあげられたら清記番号とお名前(俳号)を書き込んでください。また、質問などがあれば、質疑応答の際に随時チャットで書き込んでください。【会費】2000円。「古志社」まで「郵便振替」にて12月18日(金)までに年内参加分をまとめてお振込ください。お振込の際、必ず句会名と参加回数を通信欄に明記してください。振込先 古志社口座番号 00100-7-512480(郵便振替)※チャットを利用する場合にはYouTubeアカウントを作成する必要があります。無料でかんたんに行なえます。下記をご参照ください。https://support.google.com/youtube/answer/161805?co=GENIE.Platform%3DD

www.koshisha.com


本日、第五回「古志」YouTube句会を開催しました。

ちなみにオープニング曲はメンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」序曲です。


全体的な句会の印象としては作品が充実してきたように思います。

それぞれ個人が成長するように、句座もまた生き物のように成長していくものですが、それはオンラインによる句会の場合でもおなじだということではないでしょうか。

五回目になりますが、回を重ねることで、句座としての骨格が少しずつできつつあるように感じています。

引き続き、この調子で切磋琢磨していければと思っています。


第五回の特選句です。


  かなぶんよ狭きぼろ家が汝も好きか 臼杵政治

  雨上がり仔猫に乗って蚤が来る   百田直代

  奥山にけふは蝉捕る氷室守     丹野麻衣子

  国生みのはじめのしづく滴れり   木下まこと

  死してなほ夜空のごとし蛾の目玉  篠原隆子

  羽抜鳥飛べねば歩くまでのこと   神戸秀子



次回のYouTube句会は8月22日(土)です。

視聴だけでも可能ですが、実際に出句してみないと感じられないことがたくさんあります。

ふるってご参加ください。


明日25日(土)、第五回「古志」YouTube句会を開催します。

14:00から配信です。


投句の締め切りは本日18:00になっています。

ご参加の方はお忘れなきようお願いいたします。


申込みを忘れていたという方も、まだ受け付けますので、ぜひご参加ください。

詳細は「古志」HPまで。


先日、「「古志」最新号を読む」7月号の配信をおこないました。

篠原隆子さんからいただいた感想をかいつまんでご紹介します。


上俊一さんの質問が良く、配信の内容が深まった。

そのおかげで、内容のある論考→みんなで読み込む→「「古志」最新号を読む」で意見・質問を出しあう→それぞれが主題を再考する、という流れができる


といった感想を寄せていただきました。


これはまさに私も思っていることで、「「古志」最新号を読む」という企画の意図するところです。


誌面で提起された主題・問題をみんなで共有して、それぞれが考え、意見・感想を出し合い、あらたな創造の糧にしていく。


「「古志」最新号を読む」でみなさんからフィードバックをいただくことで、私自身、考えも深まりますし、あたらしい発見を得ています。


とはいえ、上さんのような質問はなかなかできないと思いますので、ちょっとした感想や素朴な疑問でも構いません。それでも私にはありがたいですので、ぜひ配信の際にはお寄せください。


句会も大事ですが、こうした学びの積み重ねがあってこその俳句だと思います。

まだご覧になっていない方はぜひご視聴ください。

本日21日(水)は第五回「古志」YouTube句会の申込締切日となります。

ふるってお申し込みください。


YouTube句会は人数の多い句会になっていますが、人数が多い句会、少ない句会、それぞれにメリット、デメリットがあります。


参加人数が多い句会のメリットをあげれば、これだけ多くの方に選句をしてもらう機会はなかなかないということです。

句が埋もれてしまうという心配をされる方がたまにいますが、

人数が多いということは、そのぶん多くの人が目を通すわけで、本当にいい句であれば、句が埋もれるということはありません。


逆に、中途半端な句を出句してしまったら容赦なく埋もれてしまいます。一点も入らないということは当たり前のようにあります。それは私でも起こりえます。

それだけ厳しさがあるということです。

それだけやりがいがあるということでもあります。


また、参加人数が多ければ、それだけ多くの個性にふれることができ、切磋琢磨することができます。

ですので、選句の際は、ありふれた無難な句を選ぶのではなく、新鮮な輝きを放っている句を選ぶよう心がけてください。お互いを磨く選をいたしましょう。


句会は7月25日(土)14:00から配信です。詳細は「古志」HPまで。

みなさまのご参加をお待ちしております。


本日19日(日)、「「古志」最新号を読む」を配信しました。

ご視聴ありがとうございました。


また、多くのご質問やご感想を寄せていただき、まことにありがとうございました。

配信をよりよくするうえでも、誌面をよりよくしていくうえでも、

みなさまから反応をいただけるのは非常に助かります。


後からアーカイブでご覧になった方も、ちょっとしたことでも構いませんので、配信を視聴しての感想を下記のアドレスまでお送りいただけますとありがたいです。


koshionline@yahoo.co.jp


今回は「一茶」についての話でした。

この配信を視聴していただいた上で、あらためて誌面を読んでいただければ、より理解しやすいと思いますし、新たに気づくことも出てくるのではないかと思います。


一茶については、まだまだいろいろな側面から光を当てていくことができると思います。

これを機にみなさまも一茶を掘り下げてみてはいかがでしょうか。


次回の「「古志」最新号を読む」は8月15日(土)の配信予定です。

注意:アーカイブに反映されるまで1日ほどかかる場合があります。

13日(月)に「砂町文化センター(石田波郷記念館)主催の俳句鑑賞講座「小林一茶「あるがまま」の生き方〜苦難の時代を乗り越える」の講師を努めました。


今回は全三回の最終回「一茶の晩年〜世直しを願い、愚に生きる」でした。

一茶の時代も天災、社会不安、ウイルス禍、政治の混乱などに悩まされた時代でした。

そんな時代にあって、晩年の一茶は「世直し」を願っていました。

世の中が平穏になり、よりよいものになることを願って俳句を詠んでいたのです。


世の中をゆり直すらん日の始

【意訳】世の中を地震が揺り直してくれるであろう日の始めであることよ。                     


世が直る直るとでかい蛍かな

【意訳】世が直る、直るといっているかのように大きな蛍がゆらゆら飛んでいる。                         


鳴くな虫直る時には世が直る

【意訳】虫よ、世を憂いて鳴くな。世の中は直るときには直るものなのだ。


一茶が亡くなって、およそ四十年後には明治維新を迎えます。

そこからさらに一五〇年が経ちました。

はたして一茶が願った平穏な世の中は訪れたでしょうか。


大変な時期にも関わらず、足を運んで受講してくださったみなさまには心より御礼申し上げます。

また、こうした企画を立ててくださり、しっかりと感染防止にあたってくださった砂町文化センターのみなさまにも心から御礼申し上げます。


8月23日(日)にはおなじく「砂町文化センター(石田波郷記念館)にて、こども俳句ワークショップが予定されています。詳細は下記をクリックしてください。


こども俳句ワークショップ 砂町文化センター(石田波郷記念館)


ご体調にはご留意の上、ぜひ親子でご参加ください。

また、「こども江東歳時記」の作品も募集しています。

ふるってご応募ください。


明日19日(日)は15時から「「古志」最新号を読む」をYouTubeでライブ配信します。

ぜひご視聴ください。ご質問、ご感想などお待ちしています。


砂町文化センター | 公益財団法人 江東区文化コミュニティ財団

公演情報イベント・展示情報チケット予約ティアラ友の会講座情報講座申込お知らせ一覧事業一覧各種広報紙常設展示案内グループ活動紹介施設一覧施設予約・空き状況新型コロナウイルス感染拡大防止のため臨時休館していましたが、6月1日より感染防止対策を講じた上で施設利用を再開しました。各施設定員の半分以下等の制限があります。>施設利用にあたって俳句を詠んで七夕飾り 季節の五・七・五2020/6/16(火) ~2020/7/19(日)砂町文化センター 1階ロビー「こども江東歳時記」作品募集2020/7/10(金) ~2020/9/20(日)砂町文化センター俳句ワークショップ2020/8/23(日)江東区砂町文化センターとその周辺小島のり子トリオ2020/9/13(日)砂町文化センター3階 研修室お知らせ一覧イベント一覧講座一覧施設一覧2020年7月  :休館日  :一部休館  :イベントあり詳しくはこちら〒136-0073東京都江東区北砂5-1-7 TEL 03-3640-1751FAX 03-5606-5930開館時間9:00~22:00休館日第1・3月曜日(ただし祝日の場合は開館)年末年始(12/29~1/3)昭和を代表する俳人、石田波郷が戦後12年間暮らした砂町の地にある記念館です。詳しくはこちら >財団について >プライバシーポリシー >著作権等について >ご寄附のお願い >広告募集 >特定商取引法に基づく表記

www.kcf.or.jp

7月19日(日)15:00からYouTubeにて「「古志」最新号を読む」を配信します。

今回は7月号を取り上げます。なるべく事前にお読みになった上でご視聴ください。


7月号の特集は「一茶」でした。

特集の内容に関するご質問、一茶について聞いてみたいことなどございましたら、

下記アドレスまでメールにてお送りください。ちょっとした感想でも構いません。

koshionline@yahoo.co.jp

配信のなかでお答えいたします。


もちろん当日チャットを使ってご質問していただくことも可能です。

みなさんのコメントがあったほうがお話しやすいですので、配信の充実のためにもご協力をお願いいたします。


打つのが遅い、苦手だという方、当日リアルタイムで視聴できないという方は、事前にメールでお送りいただくことをおすすめいたします。些細なことでもかまいません。


皆様からのご質問をお待ちしております。


このたび記録的豪雨の被害にあわれたみなさまに心よりお見舞い申し上げます。

幸い、わたしの実家はいまのところ被害はありませんが、まだしばらく雨が続くようです。

これ以上、被害が拡大しないことを祈るばかりです。

古志のみなさまもくれぐれもお気をつけください。


百鳥」2020年7月号「今月の本棚」不破秀介

にて、昨秋刊行の拙句集『蕾』を取り上げていただきました。

こういった書評には珍しく、本格的に読み込んでいただき、核心を突いた評を賜りました。

この場を借りまして、心より御礼申し上げます。


取り上げていただいた句からいくつか。


春の蝶影らしきもの連れてゐし

無意識の深き淵あり滴れり

国引の引きこぼしゆく千鳥かな

夢の跡すいすい泳ぐさよりかな

子どもにはわれの姿も古暦


句集ご購読は下記より。古志会員の方以外でもご購読いただけます。残部僅少です。

さきほどYouTubeによる第三回席題句会を終えました。(限定配信)

わたしの住む東京都は再び新型コロナの感染者が増えてきています。

こうした状況では通常の句会の開催は難しいと考えています。主宰が地方の句会に出席することも控えるべき状況であると考えます。

引き続き、リモートによる句会をご活用いただければと思います。


今回の特選句です。


第一句座(石竹、紙魚、鮎)

石竹や老いて大きくなりし母 神谷宣行

歌びとの御魂を食ひて紙魚太る 神谷宣行

一冊の古書来るあまた紙魚連れて 丹野麻衣子


第二句座(氷室、蚊帳、捩花)

見廻れば濡るるよ氷室守の足 丹野麻衣子

そつと母が抜け出す蚊帳の涼しさよ 澤田美那子

蚊帳一枚担ぎ近江を立ちし人 鈴木伊豆山


次回のYouTube句会は7月25日(土)です。

詳細は後日、古志HPにてお知らせいたします。

ふるってご参加ください。


YouTube席題句会ですが、平日夜の開催を検討しています。

実現の際には、こちらのほうもご活用ください。