向井去来生誕の地

長崎の旅、三日目です。

長崎市内・興善町(旧後興善町)に向井去来の生誕地跡の碑が建ってます。


ここ興善町は唐通事会所(中国語の通訳の詰め所)があるなど、


国際的な雰囲気のある町でした。

なにより去来の父、向井元升は医師であり、漢学者でした。


本草学(漢方薬)を専門としており、


『庖厨備用倭名本草』という本草学のさきがけとなる書物を著しています。


そして長崎聖堂という漢学舎(孔子廟)を創建、人々に漢学を教えました。

そんな偉大な知識人を父に持った去来。


七歳のときに、両親とともに京へ移り住みますが、

長崎には叔母の田上尼(蓑田勝)など、母方の親戚が居たため、


その後も、しばしば戻ってきていたようです。


当時、長崎が唯一の国際港として、最先端の文化や技術が入ってくる土地であったことも、


去来が長崎を大事にしていた理由の一つではないかと思います。

長崎には去来ゆかりの旧跡が他にもありますので、


また訪れた際に、あらためて巡ってみたいです。

また、YouTubeの古典講座にて、


今後『去来抄』を取り上げるつもりでいますので、


気長にお待ちいただけますと幸いです。

どうぞ良き一日をお過ごしください。

大谷弘至 official site

俳句「古志」主宰 和光大学俳句部顧問

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