歌仙・虎狼難の巻

突然のことながら、高橋睦郎先生から歌仙のお誘いをいただきました。

もちろん、こういったご時世ですので、文韻による歌仙です。


じつはまだ高橋先生にはお目にかかったことはなく、お手紙やお電話のみのやり取りだけなのですが、

それにもかかわらず、わたしのような未熟者に捌きを任せてくださいました。

なんと広い御心でしょう。


いただいた発句です。


夏赤しむかし虎狼痢やいま虎狼難  睦郎


虎狼痢はコロリ。コレラのことを江戸時代にはこのような当て字を使いました。

虎狼難はコロナ。これは高橋先生による当て字です。


一句を貫く不易と流行、そして世の嘆きを諧謔に転じる構えの大きさ。

こうした余裕は昨今の俳句には、ほとんどみられないものです。


新型コロナウイルスの感染拡大によって、

一時は緊急事態宣言が出る状況になりました。

そしていつまた宣言が出るかわからない状況になっています。

いまもなお東京には薄っすらとした緊張と不安が漂っています。

海外をみても差別や暴力に関する悲しいニュースが連日、途絶えません。

緊急事態がこのまま常態になっていくのでしょうか。


医療の急速な発達のおかげで、これまで鈍感になっていましたが、

人類の歴史をさかのぼってみると、むしろウイルスの脅威がなかった時代のほうが少なかったようにみえます。ペスト、天然痘、コレラといくつも挙げることができます。

あの一茶も幼い娘を天然痘で亡くしています。(参考「一茶とウイルス」)

わたしたちになじみのあるインフルエンザさえ、けっして甘くみることはできないウイルスです。


今後、新型コロナウイルスが収束したとしても、それ以上に脅威となるウイルスが流行する可能性があります。

虎狼難以上の難に遭うこともありえます。


考えてみれば、そもそも人間のように弱い生きものが、この地球上に生存しつづけてきたこと自体、奇跡のようにみえます。

人類の道のりは非常に過酷で困難なものだったはずです。つねに緊急事態の連続だったのではないでしょうか。

それでも互いに助け合い、およそ500万年もの間、なんとか命を継いできているわけです。(それを考えると、人は生きているというだけでも価値があります)


あらためて〈夏赤しむかし虎狼痢やいま虎狼難〉ですが、

この句はわれわれに人類史を俯瞰することの大切さを教えてくれます。

そうした視点にたてば、危機的状況に直面したとしても、心のどこかにわずかながらも余裕をもつことができます。

そうしたわずかな余裕が他者への配慮につながっていくはずです。


受難の時代です。

従来の価値観が通用しない時代になりました。


しかし、こうしたときこそ、心に余裕をもつことが大事であるということ、

そして〈むかし〉から学びつつ、必要なことを〈いま〉に活かしていく。


そういったことを考えさせられた発句でした。


ちなみに、わたしの脇ですが、


暁ヶか暮レかと惑ふ孑孒 弘至


惑える孑孒(ぼうふら)はわたし自身の姿でもあります。

めでたい句を付けたかったのですが、せめて発句の大きさが引き立てば、というものになりました。

歌仙の続きはいつかどこかで発表できればと考えています。


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