芭蕉庵跡→其角住居跡 3 新大橋
芭蕉庵から少し歩くと・・・
すぐに新大橋に出ます。
芭蕉の時代は大橋、あるいは深川大橋と呼ばれていました。
隅田川(大川)に架かる橋で、
東岸が深川六間堀(江東区新大橋)、西岸が日本橋浜町(中央区)になります。
この橋が最初に架けられたのは、1693年(元禄6年)のこと。
橋の完成を芭蕉が喜んでいたことはとても有名です。
深河大橋半ばかかりけるころ
初雪やかけかかりたる橋の上 芭蕉
みな出でて橋をいただく霜路かな 芭蕉
橋ができるまでは、渡し船に乗って日本橋へ出ていたわけですが、
すたすた歩いていけるようになったのです。
自宅のすぐ近くに橋ができたわけですから、一気に便利になったのではないでしょうか。
ちなみに広重の江戸百景「大はしあたけの夕立」はこの橋を描いたもの。
ゴッホも模写した名作です。
隅田川に屋形船が出ています。
宴会が催されているようです。
南(下流)に架かるのは清洲橋。
以前、当ブログでご紹介しました。
新大橋から眺めた芭蕉庵方面。
残念ながら角度的に見ることができません。もっと画面右奥になります。
芭蕉が其角邸へ向かった1687年(貞享4年)10月11日(旧暦)の段階では、
まだ新大橋は架かっていませんので、芭蕉は渡し船で隅田川を越えたはずです。
たかが橋ですが、歴史をひもとくと、さまざまなものが見えてきます。
というわけで日本橋浜町へ出ました。
つづきはまた明日。どうぞよき一日をお過ごしください。
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