「一茶から考える現代」3
「一茶から考える現代」(抄)その3 大谷弘至(聞き手 辻奈央子・平野皓大)
■ことばのゆくえ
大谷 一茶のなかで印象にのこる一句を挙げるとしたら何になりますか?
平野 蜻蛉の尻でなぶるや角田川
隅田川は生活空間として身近にあったと思いますが、この句は実感がある句というより
も、言葉で作られた調子を強く感じます。別案が存在する、とくに角田川ではなく大井川にした句が存在するのも、生活空間というより言語の空間で書かれたことを示しているのではないでしょうか。
また同時期の〈秋風に歩行て迯る螢かな〉にも似たような、実感のある描写のように見
て、実際には違う部分があると思います。同じ隅田川を句材にしている〈春風や鼠のなめる角田川〉の句は、芭蕉の〈氷苦く偃鼠が咽をうるほせり〉を下敷きにしている(との指摘がある)ため、生活空間の隅田川と違い、言語空間の角田川で作られているのが分かります。
生活空間として実感のあると思った句は〈はつ雪や吉原駕のちうをとぶ〉のような句で
す。初雪はすこし舞台設定っぽいですが。
実感がある隅田川の句は秋桜子の〈夕東風や海の船ゐる隅田川〉(『ホトトギス雑詠選集
春』朝日出版 1987)のような句です。
大谷 一茶と秋桜子のちがいでいえば、この秋桜子の句は写生句ですね。一茶には写生句を作る意識はありませんでした。
一茶の場合、実際の光景がかなりデフォルメされているように思います。それは浮世絵の影響ではないかと思います。たとえば〈なの花のとつぱづれ也ふじの山〉であったり、有名な〈蟻の道雲の峰よりつづきけん〉であったりは、まさしく浮世絵的なデフォルメではないでしょうか。同時代の北斎の浮世絵なんかと似たような構図で、現実的にはありえないようなアングルで世界をとらえています。〈はつ雪や吉原駕のちうをとぶ〉にしても、そんな感じがあります。いっぽうでこのときの秋桜子はあくまでも写実的表現で現実的な光景を詠もうとしています。
明治時代になって、俳句では正岡子規が、小説では坪内逍遥が写実主義を唱えて、江戸後期の俳諧や小説を否定します。浮世絵も国内では芸術的には評価されていませんでした。こうした流れは非常におおざっぱにいえば、新政府の欧化政策に乗ったものです。しかし、皮肉なことに浮世絵や一茶の句は西洋の人たちに知られることで、日本でもその価値が上がりました。写実的な作品よりも海外で評価が高い。そこには普遍的な芸術を考えていくうえで、なにか鍵となるものがあるように思います。
写実することで生まれる実感よりも言語空間として創出される実感のほうが、よりリアリティがある場合があるということではないでしょうか。
平野 浮世絵の影響ということで色々と納得しました。言語空間として創出された方が、リアリティを持つことは往々にしてあると思います。写実主義を知っている私たちだから、写実主義と対比して言語空間的だ、と言うのが可能なだけで、そもそもとして句のリアリティはあったはずです。しかし同じデフォルメでも、誓子の「写生構成」のように、写実主義を基盤にして生まれた手法は、実景を情報として組みたてるという点で、実感が薄くなっているかもしれない。頭ではそう理屈づけてしまいます。
辻 初蝶の一夜寝にけり犬の椀
動物の俳句は一茶ならではのものですが、蝶の俳句はひときわ多いように思います。夜にもかかわらず蝶のいるのが見えたほど観察力の鋭い一茶。一茶にとって蝶は単なる虫ではなく、境涯と重ね合わせると、自分の分身のように思え、つい気になる存在なのではないでしょうか。あっちへひらひら、こっちへひらひらと行ったり来たりする蝶のように、一茶も奉公や俳句行脚に出て、不安定な生活の中で眠りにつくことも多かったことでしょう。その日暮らしに見える蝶も、今夜は犬の椀という寝床を見つけることができたのだなという一茶の安堵感が伝わります。ほかの蝶の句、〈世の中や蝶のくらしもいそがしき〉も印象的な句です。蝶も短い人生を懸命にいそがしく生きている、自分もいそがしい世の中であっても、欲をはらず、あるがままに生きたいという思いでしょうか。この句でも蝶は人間の付属品ではなく、れっきとした主役です。それどころか逆に人間が見習わなければならない存在となっています。蝶は一茶が幼い頃からの友達でしたが、大人になってからは頼りがいのある同志のようにも見えてきます。
大谷 おっしゃるように蝶が分身のように詠まれていますね。一茶自身の姿のようです。〈犬の椀〉というのが、よるべなきものの悲哀を感じさせます。危うくもあり、悲惨でもあり、それでもなお究極的なところでは安心立命があるという、読んでいて不思議な感覚になる句です。
これも現実にそういう光景を目撃して写実で詠んだというよりは、一茶の「淋しみ」が絞り出した一句だという感じがしますね。
辻 一茶のような句を目指したいと思いますが、平易な言葉を取り入れると、子どもっぽい、つたない句になってしまいます。何に気を付けたらいいでしょうか。
大谷 挙げていただいた〈世の中や蝶のくらしもいそがしき〉などは辻さんの句風にも相通じるところがあって、なるほどなあと思いました。
平易に詠むのは難しいですね。ことばを易しくすると、かえって狙いがあらわになってしまって、味気なくなったり、子どもっぽくなって深みがなかったりということに往々にしてなりがちです。だからといって、ことばを難しくすれば、いろいろと覆い隠せると思うかもしれませんが、わかる人には底の浅さがばれてしまいます。やはりなるべく平易に詠んだほうがいいと思います。これまで拝見してきたかぎり、辻さんも平易な表現のほうが、より持ち味が活かせるのではないかと思います。
おそらく原因と結果が逆で、平易なことばを使っているから子どもっぽくなる、つたなくなるというよりは、じぶんのなかに子どもっぽいところ、つたないところがあるから、それがあらわになってしまうのだと考えたほうがいいかもしれません。それは辻さんだけでなく、ぼくも含めてすべての場合にあてはまることではないでしょうか。人間を磨くしかないということだと思います。
辻 「淋しみ」のお話に出た、人間の本質に迫ることにも通じますが、俳句を向上させるにはやはり自分と向き合い、自分のつたない部分を磨いていくほかありませんね。人間を磨くことは、人間にとって最大のテーマの一つだと思います。俳句を生涯やっていこうと覚悟する身なら、自分を磨くことも覚悟してやっていかねばならないとあらためて思います。
平野 活字文化の大衆化についてですが、説経節などの語り物から、次第に読み物へ変化していったと聞きます。俳諧がどう関わってくるか、一茶はどのような流れ・時代で詠んでいたか、口語調と繋がりがあるのか、など気になります。
大谷 一茶より前の時代の庶民は基本的には耳で享受していました。時代劇でよくあるように、お触れなどの法令も誰かが声に出して読んでくれることで理解していたと考えられます。一茶の頃には庶民の識字率は非常に高くなっていますし、さまざまな娯楽や実用の本が出版されています。俳諧の入門書もたくさん出されています。〈読書する大衆〉が誕生したことを意味します。このことが文学を変質させたことは先にいったとおりです。
一茶の時代の文章がほかの古い時代のものにくらべて比較的平易に感じられるのは、しゃべるように書くという意識があったことによると思います。識字率が高かったとはいえ、当時の庶民に『源氏物語』がすらすら読めたとは考えられません。芝居の科白であったり、講談であったり、そうした庶民がふだん耳なじんだ調子や語彙で書かれていることによると思います。
現代でも俳句の本はたくさん出版されていますが、入門書などはとくに「です、ます」のしゃべり口調で書かれたものばかりになっていますね。ここ二十年くらいで急激に増えているように思います。しゃべり口調のものでないと読んでもらえない時代になっているのです。ちなみにこの企画がインタビューの形をとっているのもそのためです(笑)。
そのうち俳論や評伝なんかもしゃべり口調で書かれるようになるのではないでしょうか。かつては硬質なものを咀嚼できる読者がある程度の数いたはずですが、いまは非常に少なくなっているようです。
ことばは時代を経るにしたがって平易なものになり、文体がより機能的で普遍的なものになっていくことは自然の摂理だと思うのですが、いっぽうで読者層の変容はそのうち出版物を空疎なものばかりにしてしまう危険性があります。さきほどのいいかたをすれば、平易な言葉で書かれた子どもっぽい内容のものばかりが世の中にあふれてしまう。
現代のこうした俳句をとりまく状況は行き過ぎた大衆化のあらわれで、非常に危機的な状況であると感じています。
(了)
【予告】「古志」8月号では「ポストコロナ社会と結社の未来」と題して引き続きインタビューを掲載します。ぜひ御覧ください。
※このインタビューは新型コロナウイルスによる緊急事態宣言およびそれに伴う外出自粛要請を受け、当初の予定を変更してEメールによるやりとりによって構成しています。
※転載にあたっては聞き手の辻奈央子さん(「古志」編集長)、平野皓大さんの許可を得ています。
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