「一茶から考える現代」2

「一茶から考える現代」(抄)その2  大谷弘至(聞き手 辻奈央子・平野皓大)


■旅の変容


平野 角川「俳句」の一茶の連載について、一茶の生まれた土地と家から始まっているのがとても印象的でした。土地や家は特権的に、過去と自分を繋げる側面を持っていると思うからです。

近世の家空間では個人よりも集団としての家が重視され、書かれていらしたように、自我が生まれる余地がなかったはずです。確かにそうであるとして、現在は土地にも家にも縛られいません。それは共同性にあまり依拠しないかたちで、個人として生きているという意味です。このとき俳句は、共同体が人びとの根底にあった時代から、どのように変化しているのでしょうか?

大谷 現代では良くも悪くも、だれもが根無し草ですね。その結果、旅も自我を求めるものから観光に変わっていったように思います。芭蕉の頃までは旅をするのは家に縛られないためでした。つまり階級や当時の封建的な秩序を断ち切って自由を得るためであり、自我を求めるためのものでした。

ところが一茶の時代には変化していきます。庶民が旅をするようになりました。観光が誕生したんですね。観光案内の本が出版されているくらいです。大衆の消費活動に旅が組み込まれるようになりました。

俳句でいえば、名も売れていない俳諧師たちが日本中あちこちを行脚して回っています。それは収入を得ることが目的でした。幕末には有名俳人の名を騙るような者まで続出していたようです。一茶の時代も似たようなものだったでしょう。それだけ俳諧師の需要があったということでもありますし、旅が気軽なものになっていたことを意味します。

たしかに現代では封建的な家や土地の縛りはなくなりましたが、みずからを依拠する共同体がなくなったわけではなくて、それが家や土地から大衆へとステージが移行したのだといえるかもしれません。

たとえばわれわれが海外旅行に行く理由はなんでしょうか。いろいろあると思いますが、典型的なことでいえば、頑張って働いて一年間貯めたお金で家族で海外旅行に行って現地で消費しまくるといったことがあるのではないでしょうか。

これはそうしたモデルケースを刷り込まれていて、だれかに強制されているわけでもないんですが、みんながやっているからという理由で慣習的にそれを行っています。たしかにそれはそれで行けばそれなりに楽しめます。しかし自我をもった行動かといわれれば、そうではないように思えます。

たとえば、みんながタピオカミルクティーを飲むようになったら、長時間お店に並んででもタピオカを飲む。家や土地には縛られていないですが、みんながやっていることにみずから縛られる。

大衆および、大衆社会が生みだす空気みたいなものにアイデンティティを依拠するようになっています。今回の新型コロナウイルスによる危機で気づかされた部分、変わっていく部分もあると思いますが、残念ながら今後もそういったことは根本的には変わらないように思えます。

だから大衆社会に依拠できない人にとっては、とても生きづらい世の中になっています。家や土地からは逃げられますが、大衆からは逃げられない。昔の世捨て人以上の厳しさをもって生きないと難しいですね。

平野 物ではなく情報を消費しているということですね。火事を直接目にするよりも、新聞で記事として見た方が実感を持つ、という話を聞いたことがあります。これもまた「生きている実感」に関わってくることだと思います。

大谷 そう思います。だれもが根無し草なので、現代社会では個々人の差がみえにくい。実際には社会的・経済的格差もあるし、それぞれにいろんな人生があり、違いがあり、ルーツがあるけれど、それが日常ではみえにくい社会になっています。大衆的に情報を消費するうちにみえなくなっているところもあるように感じます。

 角川「俳句」の連載で、一茶が「みちのくの旅」で感じた「淋しみ」に着眼されたことは大いなる発見だと思いますが、「淋しみ」を普遍的に捉えた句にするにはどうしたらいいでしょうか。

大谷 あまり知られていないことですが、二十代の頃、一茶はみちのくを旅しています。その時期はまだまだ天明の大飢饉の被害が残っているころだったと考えられます。自然災害、それにつづく失政による人災によって、多くの人々が命を失い、生きることに苦しみました。どこか現代と重なるところがあります。

そんななか一茶は旅をしていて、その足跡が断片的に残っているのですが、そこから見えてくるのは「淋しみ」です。詳しくは連載の方を読み返していただけるといいのですが、一茶の「淋しみ」はその旅で出会った光景から受けた直接的、感情的な「淋しみ」だけでなく、後の一茶の句にみえてくるような人間(あるいは生き物)の根源である孤独としての「淋しみ」であったと思うのです。

われわれは九年前に大震災を経験し、その後も毎年のように災害を受けつづけ、いま新型コロナウイルスの蔓延に苦しんでいます。若き日の一茶が感じた「淋しみ」をだれもがまさにいま感じているところです。

そこで、それをどう俳句にしていくかというところですね。やはり表面的な「淋しみ」で終わってはいけないと思います。だれもが感じている感情をいまさら俳句にしたところで、ただごとにしかなりません。人間の本質に迫るような句作りが必要ではないでしょうか。

 自分の感じた「淋しみ」は、俳句を作る人間としては一歩も二歩も踏み込んで、それをしっかりと受け止めて、自分ならではの俳句にすることが大事ですね。人間の本質に迫るということは当たり前の行為のようですが、意外とできていないことだと気づきました。


(3へつづく)


※このインタビューは新型コロナウイルスによる緊急事態宣言およびそれに伴う外出自粛要請を受け、当初の予定を変更してEメールによるやりとりによって構成しています。

※転載にあたっては聞き手の辻奈央子さん(「古志」編集長)、平野皓大さんの許可を得ています。

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