浦上天主堂
おはようございます。いかがお過ごしでしょうか。
かつて農村地帯であった浦上は、江戸時代からカトリック信徒が多い土地でした。
そのため「浦上崩れ」で知られるように、たびたび幕府から弾圧を受けています。
1879年(明治12年)に小聖堂が築かれたことが浦上天主堂のはじまりでした。
その後、大浦天主堂を越える大聖堂を建てるプロジェクトが始まり、
1914年(大正3年)、着工から 19年もの年月をかけて、
この地に浦上天主堂が完成します。
しかし、ご承知のとおり、1945年(昭和20年)の原爆投下により全壊。
原爆投下時、天主堂では「ゆるしの秘跡(告解)」が行われており、
神父をはじめとする、天主堂に集まっていた信徒全員が犠牲になりました。
なお、周辺に住んでいた信者1万2000人のうち、
約8500人もの尊い命が原爆の犠牲になっています。
被爆により破損した聖人像。
奇跡的に残ったものだと思われます。
浦上天主堂内の小聖堂には「被爆のマリア」像が安置されていますが、
一般には公開されていません。レプリカのみ拝観できます。
参考写真ですが、瞳は抜けて空洞になってしまい、頬は焼け焦げています。
原爆がいかに凄惨で無慈悲なものかを伝えてくれます。
また、もともと天主堂には鐘が二つあったのですが、
原爆により一つが破壊され、
全壊した瓦礫の中から発見されたもう一つの鐘だけが鳴らされてきました。
そうしたなか、被爆80年の今年、アメリカのカトリック信者たちによって鐘が復元され、
寄贈されることがニュースになりました。
被爆80年の8月9日、原爆投下の時間に初めて鳴らされるそうです。
聖セシリア。
キリスト。
長崎の町を見守ってくれているかのようです。
どうぞ良き一日をお過ごしください。
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