『笈の小文』を巡る 伊賀上野 20 新大仏寺 阿波の大仏さん

芭蕉の『笈の小文』を巡る旅。

新大仏寺のつづきです。

丈六にかげろふ高し石の上   芭蕉


この「丈六」というのは、「一丈六尺」のこと。


一般的な仏像の高さで、ここでは新大仏寺の大仏のことを言っています。


地元では阿波の大仏さんと呼ばれ、親しまれているそうです。


芭蕉が訪れた当時、新大仏寺は荒廃しており、


名ばかりは千歳の形見となりて、伽藍は破れて礎を残し、

坊舎は絶えて田畑と名の替り、丈六の尊像は苔の緑に埋れて、

御ぐしのみ現前とおがまれさせ給ふ


とその様子を『笈の小文』に記しています。


このとき、大仏さんは「御ぐしのみ」の状態、


つまり、頭部だけが残っている状態でした。


現在の大仏さんは、江戸時代中期に修復されたものです。

ありがたいことに、今回、阿波の大仏さんを拝観することはできましたが、

撮影禁止のため、残念ながら写真におさめることはできませんでした。

(参考:観光三重


高さ五メートル。その御姿は東大寺の大仏を彷彿とさせます。


実物は参考写真からは感じ取ることのできない、圧倒的な大きさがあります。


頭部は快慶作。身体は前述のとおり江戸期のもの。

こちらは台座。かつて大仏が載っていたもので、鎌倉時代の作。

獅子が刻まれています。


「石の上」の石というのは、この台座のことだと思います。

丈六へ猿が拾ひしあとの栗   飴山實『次の花』


飴山先生もこの新大仏寺を訪れ、この句を詠みました。

ちなみに芭蕉は元禄二年、この伊賀街道にて、


初時雨猿も小蓑を欲しげなり   芭蕉


を詠んでいます。


飴山先生の句は丈六の句と小蓑の句へ唱和したもの。

重源を慕ってこの地を訪れた芭蕉。


芭蕉を慕ってこの地を訪れた飴山實。

詩歌はこのようにして紡がれ、


はるかに織りなされていくものだと、


あらためて体感するることができました。

どうぞ良き一日をお過ごしください。

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