『笈の小文』を巡る 鳴海 2 鳴海潟
芭蕉の『笈の小文』を巡る旅。
名鉄・鳴海駅に到着。
さらにその昔、このあたりは「鳴海潟」と呼ばれる干潟でした。
いにしえの旅人たちはここで干潮を待って移動しました。いわゆる「潮待ち」です。
当時の地形については「更科日記紀行」というサイトに詳しいのでご参照ください。
その後、新田開発を目的とした埋め立てが進み、
干潟はすでに江戸時代初期の時点で、
鳴海潟今は塩干に成にけり野並の里に旅人もなし 口伝『尾州鳴海辺之図』
とあるように、姿を消していたようです。
(千鳥 Photo by Canva)
江戸時代以降、鳴海は物流の拠点として、また、東海道の宿場町として発展していきます。
芭蕉は東海道を通るたびに、この鳴海宿を訪れていますが、
当時の鳴海の姿は千鳥が舞い上がる歌枕の姿ではなく、
物流拠点・宿場町として発展した鳴海の姿だったはずです。
つづきはまた明日。
どうぞ良き一日をお過ごしください。
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