常夜灯 行徳街道

おはようございます。

行徳のつづきです。

街道から旧江戸川の河川敷へ。

今回の行徳の踏査の目的であった常夜灯を訪れました。

その名も常夜灯公園。


江戸と行徳を結ぶ舟運の運航が始まったのは、


1632年(寛永9年)のこと。

この地に河岸(港)が設置され、


日々、明け六ツ(午前6時)から暮れ六ツ(午後6時)まで運航されていました。


すでにふれましたが、


この航路を行き来する船は「行徳船」と呼ばれ、


おもに行徳で製造された塩を運びました。


旧江戸川を下り、新川〜小名木川を通って日本橋小網町まで運んだのです。(約12,6km)


そして常夜灯ですが、


1812年(文化9年)に地元の商人や船主たちの寄付により建てられました。


船が行徳の河岸(港)に安全に入港できるように設置されたもので、


その名のとおり夜の間中、常に灯され、夜間の航行の目印となりました。


常夜灯のおかげで江戸と行徳の物流が安全かつ効率的に行われたのです。


現在の常夜灯周辺は、新河岸と呼ばれ、


1690年(元禄3年)に整備されたものだそうです。(それでも古いですね)


ですので、芭蕉が利用したのは旧河岸、一茶は新河岸になると思います。

これも繰り返しになりますが、


当時、行徳には塩田が広がっており、


塩を運ぶために多くの「行徳船」が出入りしていたわけですが、


「行徳船」は人員輸送にも使われるようになり、


1687年(貞享4年)の「鹿島紀行」の旅では芭蕉が、


そして後の時代には一茶もこの河岸を船で出入りしました。

常夜灯は江戸時代の物流や交通の重要な役割の一端を担ったと同時に、


文化の伝播という点でも大きな役割を果たした歴史的遺産といえます。


どうぞよき一日をお過ごしください。

0コメント

  • 1000 / 1000