法善寺(塩場寺) 市川市本塩
おはようございます。
行徳のつづきです。
仏生山法善寺を訪れました。
すでにふれましたが、江戸時代、行徳では製塩業が盛んでした。
そして、じつはこの法善寺が行徳製塩の発祥の地とされています。
法善寺は1600年(慶長5年)、宗玄和尚によって創建されました。
宗玄和尚はもともと大坂(大阪)の人で、片桐且元に仕えていた武人でした。
行徳へやってきた宗玄和尚は武家時代のノウハウを活かし、
この地の海岸や荒地を開拓し、広大な塩田をつくって、
製塩技術を行徳の里人に伝授しました。
こうしたことから法善寺は行徳製塩の発祥の地とされ、
代々、この地の製塩業に携わる人々の信仰をあつめ、
別名、塩場寺(しょばでら)と呼ばれるようになりました。
思いかえせば、
私の住む江東区周辺も近江や大坂(大阪)からやってきた商人が切り拓いていますし、
佃島周辺もそうでした。
この時期、上方からさまざまな技術がもたらされたんですね。
俳諧もまた同様でした。
こちらが芭蕉句碑。
1797年(寛政9年)、芭蕉の百回忌を記念して行徳の俳人たちが建てたものです。
うたがふな潮の華も浦の春 芭蕉
もともとは二見ヶ浦で詠んでいる句ですが、
〈潮(うしほ)の華〉にちなんでこの句が句碑に選ばれたのでしょう。
句碑は「塩塚」と呼ばれ、大事に守り継がれてきました。
法善寺はこのあたりの寺としては、敷地が広いです。
枯山水の趣です。
たしかに立派な巨石がごろごろと置かれているのですが、
素人目にはどれがどれかはわかりません。
なんにせよ、塩場のかつての隆盛を体感させてくれます。
石がお好きな方にもおすすめです。
こちらは夏水仙でしょうか。ぽつんと咲いていました。
つづきはまた明日。
どうぞよき一日をお過ごしください。
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