行徳

行徳(千葉県市川市)を歩いてきました。

1687年(貞享4年)、44歳の芭蕉は鹿島に月見の旅をしています。


その旅の様子は『鹿島詣』(鹿島紀行)にまとめてあります。

(「江戸川フォトライブラリー」より転載)


『鹿島詣』によれば、


まず芭蕉は自宅(深川の庵)の門前から船に乗り、


運河である小名木川、新川を通って、


行徳(千葉県市川市)まで向かいました。

江戸時代、行徳は製塩が盛んで、


行徳で作られた塩を江戸市中へ運ぶ手段として舟運が使われていました。


そしてその塩を運ぶ船は行徳船と呼ばれました。

(『江戸名所図会』「行徳塩釜の図」)


小名木川や新川は人工の河川ですが、


行徳から塩を舟で運ぶことを目的に掘削開通されたものです。


鉄道がない時代、舟で運んだほうが陸路で運ぶよりも労力がかからず、


より速く、より大量に運ぶことができました。

(『江戸名所図会』「行徳汐濱」)


その後、行徳の塩のほかにも、


江戸郊外で作られた農作物や酒、醤油、味醂なども水運で運ばれるようになりました。


さらには物流としてだけではなく、庶民の交通手段にもなりました。

(『名所江戸百景』「中川口」)


芭蕉はその舟運を使って、行徳まで舟で向かったのです。


というわけで、行徳ですが、

今回は隣駅の妙典から歩きました。

ここは寺町となっており、面白いお寺が多いのです。

つづきはまた明日。

どうぞよき一日をお過ごしください。

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