香椎宮 5 仲哀天皇 樫日宮蹟(古宮)

福岡、香椎宮のつづきです。


香椎宮から少し歩いたところに、仲哀天皇が本拠地とした樫日宮蹟(古宮)があります。

あまり知られていませんが、仲哀天皇はこの地に住まい、ここを都と定めました。


そしてここで崩御しています。

仲哀天皇8年(199年)、当時、熊襲が支配していた九州を平定すべく、


仲哀天皇、神功皇后はこの地へやってきたのです。

そして香椎のこの場所を本拠地としました。

まさにここが当時のまつりごとの中心地だったのです。

沙庭。神のご信託を受けることが当時のまつりごとでした。


いわゆる三韓征伐もこの沙庭で託宣を受けたことから始まったものです。


そうしたなか、仲哀天皇は志半ばに崩御してしまいます。


神功皇后たちはその喪を隠してまつりごとを続けました。

神木・香椎。椎の木です。棺掛椎ともいわれています。

神功皇后ら遺された人々は、仲哀天皇の棺を椎の木に立て掛け、


まるで天皇がまだ生きているかのようにして御前会議を開きました。


ちなみにこのとき、棺から良い香りが漂ったことから、


香椎の名前が起こったという説もあります。

すべては神代の伝承。物語が事実かどうか検証のしようもありませんが、


個人的には香椎宮本宮よりも興味深く、かつパワーを感じた場所でした。

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