「古志」東京句会を終えて(4月) 2
昨日に続き、4月の東京句会の特選句から。
新参のわが脛(はぎ)こづく岩魚かな 園田靖彦
この川ではじぶんは新参者。
もとから川にいる岩魚は先輩のようなもの。
川の流れに足を入れれば、
岩魚先輩がこつんこつんと脛を小突いてくる。
(岩魚(イワナ)wikipediaより 夏の季語)
ユーモラスに描かれている句ですが、
自然に対する畏敬の念が作者の根底にあります。
人間中心、人間優位の自然観ではなく、
あくまでも岩魚とおなじ視点で詠まれているので、
この句もおのずから読者に価値の転換を迫ってきます。
丸まりも隠れもせずになめくぢり 藤原智子
こちらは採り漏らしてしまった句でしたが、
先の句とおなじ良さがあります。季語は「なめくぢり」(なめくじ)で夏。
「なめくじ」というと、ふつうは嫌われ者ですが、
この句を読むと「なめくじ、すごい」というふうに印象が変わります。
たとえば「かたつむり」であれば、殻の中に逃げ込んだりするのですが、
なめくじは人が来ても堂々としたものです。
(ゆえにかたつむりは愛され、なめくじは嫌われるのかもしれませんが)
我が身を振り返って「何事にも動じないような生き方ができているか」
と問うた時、なめくじのようには堂々としていなかったりします。
そう考えると「なめくじ、実はすごいんじゃないか」となるわけです。
なめくじの魅力に気づかされるわけです。
人間優位の視点ではなく、なめくじと同じ視点に立っているからこそ生まれる佳句です。
ほんのちょっとしたことですが、こういう句に出会うと、心が豊かになった気分になります。
句会ではこうした連衆の句から多くを学ぶことができます。
(明日へ続きます)
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