浜松城 野面積み

浜松の旅のつづきです。

いよいよ浜松城です。

この城は若き日の徳川家康が本拠としたことで知られています。

元亀元年(1570)、27歳の家康は引間城を大幅に改修し、


「浜松城」と名づけ、岡崎から移ってきました。

以降、家康はここで約17年を過ごし、武田信玄との三方ヶ原の戦いなど、


大きな試練を経験しながら、天下人へと羽ばたいていきました。

また、のちに城主となった大名たちも幕府の要職に出世したことから、

「出世城」と呼ばれるようになりました。

そして、この城の一番の見どころは、野面積みの石垣です。

荒々しい自然石を積み上げて組まれた石垣です。

中世では土を盛った土塁が主でしたが、戦国期に石垣が一般化します。

最初に登場した石垣の技法が野面積みでした。その後、


野面積み打込接ぎ(姫路城 、熊本城など)→ 切込接ぎ(江戸城、金沢城など)


と石垣の技法は発展していきます。

この浜松城には、そんな貴重な野面積みの石垣が残っているのです。


野面積みは、自然の石、あるいは粗く割った石を、形をあまり整えずに積みます。


石の大きさや形がばらばらなので、


一見すると無造作に積んであるように見えますが、


実際には、石同士の噛み合わせ、重心などを見極める高度な技術が必要とされます。

ちなみに飯田龍太が俳句を野面積みの石垣のようだと述べたことは有名です。


また、龍太の小黒坂の集落にも野面積みの職人がいたそうで、


坂の多い集落のいたるところに野面積みの低い石垣があり、


台風が来ても、強固に守ってくれていたようです。

無造作ながら、ゆるぎないもの。


たしかに、そうした俳句が理想ですね。

どうぞ良き一日をお過ごしください。


大谷弘至 official site

俳句「古志」主宰 和光大学俳句部顧問・非常勤講師