海野宿 本陣跡
海野宿のつづきです。
海野宿には電線がありません。
すべて地中に埋めてあります。
宿場町として栄えていた頃の景観を守ってるのです。
そのおかげで空と町並みがとても綺麗に感じられます。
海野宿は北国街道の宿場町。
寛永12年(1625)に参勤交代制が定められると、
諸大名は大勢の家来を引き連れ、江戸と領国との間を往復しなくてはならなくなりました。
いわゆる「大名行列」となって街道を練り歩きました。
そうした大名行列が道中、休泊するために、
諸街道には宿場町が整備されましたが、ここ海野宿もそのひとつ。
そして大名が宿泊する施設として各宿場に設けられたのが本陣です。
前回の「古典講座」では東海道・鳴海宿の本陣についてお話しましたが、
各地の本陣は地元の名士が務めました。(鳴海では寺島家・千代倉家)
ここ海野宿の本陣は代々藤田家(藤田伝左衛門)が務めました。
本業は問屋だったそうで、この門は問屋の物置長屋門。
残念ながら本陣の建物は残っていません。
ちなみに北国街道を往復した加賀藩の場合、
多いときで約4000人もの行列になりました。
海野宿は人でいっぱいになったことでしょう。
一茶の故郷・柏原も同じ北国街道の宿場町でした。
ずぶ濡れの大名を見るこたつ哉 一茶
参勤交代の過酷さが偲ばれます。
どうぞよき一日をお過ごしください。
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