嵯峨野 落柿舎 1

いかがお過ごしでしょうか。

京都・嵯峨野のつづき、

去来が住んでいた落柿舎です。

門をくぐると、

落柿舎の象徴とも言うべき蓑と笠。

これは主の在庵or留守を示す役割も果たしました。


蓑笠がかけてあったら在庵、なければ外出中を意味します。

落柿舎制札。五箇条が記されています。

「世の理屈を謂ふべからず」が個人的には刺さります。

落柿舎内部。

落柿舎は芭蕉の高弟・向井去来の庵。


もともとは豪商の別邸だったものを去来が譲り受け、コンパクトに改築したそう。

去来の庭には四十本もの柿の木が植えてあったそうですが、


ある夜、嵐で一斉に実が落ちてしまいます。

収穫前に買い手と約束していた柿はすべて台無しに。

そのため去来は代金を返したというエピソードが「落柿舎」の名前の由来とされています。

五月雨や色紙へぎたる壁の跡   芭蕉


芭蕉はこの庵を三度訪れ、とくに1691年(元禄4年)初夏には長逗留し、


ここを拠点に嵯峨・嵐山をめぐった記録『嵯峨日記』を書き残しました。

凡そ天下に去来程の小さき墓に参りけり   高浜虚子

つづきはまた明日。


どうぞ良き一日をお過ごしください。


大谷弘至 official site

俳句「古志」主宰 和光大学俳句部顧問

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