「古志」YouTube句会(8月)を終えて 1
8月23日(土)は「古志」Youtube句会でした。
毎月第四土曜日に定期開催しています。
特選句からいくつか。
鬼貫の独吟佳境新走り 木下洋子
鬼貫は元禄期に活躍し、
東の芭蕉、西の鬼貫と並び称せられた俳諧師。
酒どころ伊丹の人で、
俳論書『独ごと』に見られるように、
骨太で剛直な人柄と作風で知られています。
〈独吟)はひとりで連句作品を作ることで、
鬼貫の作品としては独吟百韻が残っています。
これはひとりで百句連ねたものです。
掲句ですが、
鬼貫がひとりで新酒を汲みながら、
百韻もいよいよ佳境に入り、
気持ちが昂ぶっている様子が目に浮かんできます。
季語である〈新走り〉の語感も効いています。
勢いよく連句が進んでいる印象を生んでいるのです。
同じ意味のことばでも〈今年酒〉などでは、この勢いは生まれません。
この句は鬼貫への挨拶であり、ひいては伊丹、
そしてその地で醸されてきた酒と酒文化への挨拶ともいえるのではないでしょうか。
10月には伊丹吟行句会も予定しています。
ぜひご参加ください。
縦割りの是非は知らぬが西瓜切る 鈴木榮子
この句では西瓜が縦に断ち割られる様子と
横の関係を持たないたこつぼ型の組織という意味での
〈縦割り〉が一種の掛詞のようになって機能しています。
現代の俳句は掛詞を嫌う傾向にありますが、
こうした掛詞は差し支えなく、
むしろ一句の勢いを生んでいるようにみえます。
縦割りは組織の硬直化を生みやすいため、
「縦割り行政」などと揶揄されることも多く、
その弊害が語られる場合が多いですね。
作者はそれを踏まえつつ、
この句では〈是非は知らぬが〉としたことによって、
味わいの深さを生み出しています。
縦割りを安易に否定するでもなく、うべなうでもなく、
是非は知らぬが、とにかく西瓜は縦に切るしかない。
飾らないあるがままの、
豊かな人間味を感じる一句でした。
「古志」YouTube句会は毎月第4土曜日に開催しています。
次回は9月27日(土)です。
「古志」会員であれば、どなたでもご参加いただけます。
欠席投句も可能です。動画はあとからいつでもご視聴いただけます。
初心者の方、入会して日が浅い方も歓迎いたします。
参加のお申し込みは、
koshionline@yahoo.co.jp
まで、メールにてお願いいたします。
ぜひご参加ください。
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