旧・出津救助院 祈りの場
長崎の旅、
外海(そとめ)、旧・出津救助院のつづきです。
授産場の二階は祈りの場になっています。
この地域の貧しい女性たちは、出津救助院で暮らしながら、
基礎教育とキリストの教えを学び、手に職をつけて自立していきました。
この祈りの場はそうした女性たちが、雑魚寝で寝泊まりした部屋でもあるそうです。
柱時計。19世紀初頭に製造されたもので、
ド・ロ神父が母国フランスから取り寄せた大変貴重なもの。
こちらはハルモニュウム。
リード・オルガンの一種で、パイプオルガンのような響きをもっています。
ド・ロ神父が1889年(明治22年)頃にフランスから取り寄せ、
毎日のミサで使用されました。
鍵盤一つを押さえるだけで、簡単に和音を奏でることができる優れものです。
フランスのデュモン社製で、世界に四台しか残っていないそうです。
(Photo by 「古志」長崎支部)
シスターが弾いてくださり、
賛美歌「いつくしみ深き」をみんなで合唱しました。
この地域の歴史の一部になれた気持ちになり、とても感動的でした。
ド・ロ神父は1840年(天保11年)にフランスで貴族の次男として誕生し、
神学校卒業後、東洋布教のためパリ外国人宣教会に入会。
いまだキリシタン弾圧が続いていた1868年(明治元年)に決死の覚悟で来日。
主任司祭として外海地区にやってきたのは1879年(明治12年)のこと。
「陸の孤島」と呼ばれ、漁業でほそぼそと生計を立て、
長年にわたるキリシタン弾圧にも耐えながら、
信仰だけを生きる頼りに貧しい暮らしをしていた外海の人々の姿をみて、
「魂の救済だけでなく、その魂が宿る人間の肉体、生活の救済が必要」と痛感したそうです。
そこでド・ロ神父は私財を投じて、この地に授産場を建設しました。
ド・ロ神父は建築・医学・産業など、幅広い分野にわたる知識を生かして、
教会を中心にした村作りを先頭に立って推し進め、
織布、織物、 素麺、マカロニ、パン、醤油の醸造などの授産事業により、
外海の人々に「自立して生きる力」をもたらしました。
近代日本の発展にキリスト教が大きく寄与したことをあらためて体感しました。
ド・ロ神父のように人のために生きることは素晴らしいことですし、
とても難しいことですが、自分もそうありたいと思った次第です。
どうぞ良き一日をお過ごしください。
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