往生寺(善光寺奥の院)2 芭蕉と一茶の句碑

引き続き、長野の安楽山往生寺です。

市街地の喧騒を離れた静かなお寺です。

こちらには芭蕉と一茶の句碑があります。

こちらが芭蕉句碑。

月影や四門四宗も只ひとつ   芭蕉


植え込みの中にあり、句碑の詳細は確認できなかったのですが、


耳嚢』にもこの句碑の記述があることから、


江戸時代に建てられたもののようです。

この句は貞享5年(1688年)、芭蕉が『更科紀行』の旅で善光寺を訪れた際の句。


「四門四宗」はどれを指すか、諸説ありますが、


いずれにせよ、善光寺が一寺で兼ねていることを指します。


そしてそのことを褒め称えている句です。


なお『更科紀行』は『笈の小文』の旅の帰路、姨捨山で月見をした記録ですが、


『更科紀行』には芭蕉が奥の院の往生寺まで訪れたという記載はありません。

いっぽう、一茶はしばしば往生寺を訪れています。

 花の世は佛の身さへおや子哉   一茶

蝶とぶやしんらん松も知つた顔

花さくや伊達にくはへし売きせる


一句目は当地を詠んだ句。「かるかや堂」と前書きがあります。


一茶は「苅萱伝説」が好きだったようで、それを詠んだ句です。


「苅萱伝説」の詳細はまた後日。


二句目、三句目は善光寺を詠んだ句。


しんらん松」は親鸞聖人が善光寺に松を奉納したことにちなみます。


三句目、善光寺の周辺の市では、キセルも売っていたのでしょう。


当時、善光寺は長野の商業の中心地でもありました。


江戸をはじめ全国各地から参詣客がやってきたからです。


そのため門前町が発展し、商人たちも集まってきたのです。

こちらは山吹の花

黄色が鮮やかです。


山吹や腰にさしたる馬杓子   一茶


馬杓子は馬柄杓。馬に水を飲ませるための柄杓。


馬子(馬丁)がよく用いました。

つづきはまた明日。

どうぞ良き一日をお過ごしください。

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