『笈の小文』を巡る 伊賀上野 12 蓑虫庵
芭蕉の『笈の小文』を巡る旅。
貞享5年(1688年)3月11日、芭蕉はこの庵を訪れました。
蓑虫庵は芭蕉の弟子・服部土芳の庵。
土芳は筆まめな人で、芭蕉の言葉をまとめた『三冊子』をはじめ、
『庵日記』などの日記類も書き残しており、それらは貴重な史料になっています。
蓑虫の音を聞きに来よ草の庵 芭蕉
この句はもともと深川の芭蕉庵で詠まれたものですが、
蓑虫庵の庵開きのお祝いに、達磨図の画賛にして、この句を土芳に贈っています。
それによって蓑虫庵という名前になりました。
無名庵、西麓庵、東麓庵、瓢竹庵とともに芭蕉翁五庵の一つになっていますが、
蓑虫庵は現存する唯一の庵です。
土芳は蕉風を後世に伝えるべく、この蓑虫庵で『三冊子』を執筆しました。
土芳は幼少の頃から芭蕉に俳諧を学んだといわれています。
そして30歳で早々に藤堂家を致仕。この庵を結びます。
そこへタイミングよく、芭蕉が『笈の小文』の旅で帰省、蓑虫庵の名を貰ったのです。
以降、土芳は俳諧に専念。伊賀蕉門の中心人物として活動し、
享保15年(1730年)、74歳で没するまでこの庵で過ごしました。
つづきは後日。
どうぞ良き一日をお過ごしください。
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