臨川寺 芭蕉ゆかりの寺 1

いかがお過ごしでしょうか。

こちらは深川の臨川寺です。

昨年、芭蕉の鹿嶋紀行を巡りましたが、

そのなかで仏頂和尚についてふれました。詳しくは過去記事をご覧ください。


根本寺の仏頂和尚は鹿島神宮と領地争いをしますが、


その訴訟のため、江戸へ出てきます。


そして根本寺の末寺であったここ臨川寺に長期滞在することになります。


臨川寺は芭蕉庵にほど近い場所にあるため、


芭蕉はここへ通って仏頂和尚に禅を学びます。


いわば蕉門における聖地とでもいうべき場所です。

ずらりと碑が並んでいます。いずれも美濃派の神谷玄武坊にまつわるもの。

墨直しの碑。もとは延享の頃(1744~47)玄武坊が建てたものですが、


震災・戦災の被害に遭い、昭和37年(1962年)に再建されました。


各務支考が師・芭蕉の17回忌に建てた石碑の写し。本物は雙林寺にあります。

梅花仏碑。梅花仏とは美濃派の祖・各務支考のこと。

「各務」になぞらえて「鏡」の形をしています。


こちらも雙林寺にある碑を写したもの。

芭蕉由緒の碑。


「墨直しの碑」と「梅花仏碑」が建てられた由緒を記しています。

碑のかたわらには蛙の置物。

玄武仏碑。


神谷玄武坊を記念して江戸時代・文化年間に建てられたもの。

こちらは臨川寺オリジナルの碑であり、


しかも震災・戦災をくぐりぬけて、いまに残っています。


このように、江東の地は江戸時代から芭蕉の顕彰が盛んでした。

つづきはまた明日。


どうぞ良き一日をお過ごしください。

大谷弘至 official site

俳句「古志」主宰

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