笹屋うどん跡 行徳街道

行徳のつづきです。

法善寺を後にし、芭蕉が歩いた行徳街道へ出ました。

その道すがら、どうでもいい話ですが、

本塩なのにシュガー。3番館までありました。

こちら街道沿いに残る「笹屋うどん」の建物。


場所柄、各地から訪れる旅人が必ず立ち寄ったそうで、


行徳といえば迷わずココという、大人気店だったそう。


その昔、十返舎一九も訪れたのだとか。

(江戸時代の笹屋うどん。『江戸名所図会』「行徳船場」より)


いま残っている建物は1854年(安政元年)築。お店は明治時代まで開業していました。

笹屋うどんの由来ですが、鎌倉時代までさかのぼります。


1180年(治承4年)、石橋山の戦いで大敗した源頼朝は安房国へと逃がれます。


その途中、ここ行徳に漂着してしまうのですが、


そのとき、うどん屋仁兵衛が提供したうどんによって、


頼朝一行はなんとか体力を回復したのだそう。


うどん屋仁兵衛はその功績によって、笹りんどうの家紋を与えられ、


家名も「笹屋」にしたというのです。

(うどんを食べる源頼朝。「市川市観光協会」より転載)


その時の様子が屏風絵に描かれています。

ちなみに看板は大田南畝(蜀山人)筆ですが、いまは市川歴史博物館に所蔵されています。

鎌倉時代発祥が本当だとすれば、芭蕉がここでうどんを食べた可能性もありますが、


いかがなものでしょう。

つづきはまた明日。


どうぞよき一日をお過ごしください。

大谷弘至 official site

俳句「古志」主宰 和光大学俳句部顧問

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