「古志」深川句会(1月)を終えて
1月10日(水)は今年最初の「古志」深川句会でした。
毎月第2水曜日に江東区森下文化センターで開催しています。
「古志」の会員の方であれば、どなたでもご参加いただけます。
今回は奈良から田村史生さんが参加。
この国の達者なる頃初荷式 田村史生
第一句座の特選句。
バブル期に入社された田村さん。
当時はたくさんのトレーラーがいっせいに初荷を運びだす式典が行われていたのです。
いまでは見られなくなった光景を懐かしんだ句ですが、
いまも現役で働いている作者だからこそ、
いっそう変化を寂しく思われているのではないでしょうか。
それぞれの人生が声になり、俳句になって響き合う場所。
それが句会だと思います。
だからこそ毎回刺激的であり、かけがえのない場所なのです。
墨すれば余命楽しや初硯 西川東久
〈墨すれば〉と条件付きなのが切ないですね。
ふだんは病や死といったさまざまな苦しみと向き合わなくてはならない境涯。
しかし、硯を置いて書と向き合うときだけは、
そうした苦しみをすべて忘れる事ができるのです。
〈楽し〉の背後には他人には想像もつかない苦しみが隠れているのだと思います。
俳句は「向日性」の文学ですが、
その明るさは深い嘆きや苦しみがあってこその明るさなのです。
このたび東久さんは飴山實俳句賞を受賞され、句集の刊行もまもなくです。
その充実がうかがえる一句です。
夫に来る賀状あまたの呑みませう 城田容子
ふだん呑みに出ることの多いご主人なのでしょう。
こうした賀状をみて、作者は呆れているのかもしれません。
ご本人によればご主人は酒類メーカーにお勤めだったとのこと。
一句に詠まれているのは、賀状に書かれた何気ない文言でしかないのですが、
その背後にご主人のふだんの生活やご夫婦の関係性など、
さまざまな人生の積み重なりが見えてきます。
俳句って本当にいいものですね。
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