若狭 7 八幡神社(小浜八幡宮)

バスは日に2本。


午前と午後に1本ずつ。

今日も小浜にはゆるやかな時間が流れています。


小浜には八幡神社(小浜八幡宮)という古社があります。


ちょうど小浜西組の入り口にあたる場所です。


創立年は定かではありませんが、


国学者の伴信友は『八幡考』のなかで、


769年(神護景雲3年)の創建としています。


『続日本紀』神護景雲4年(770)8月庚寅朔日の記事から推定したものです。


社殿など建物自体は明治期のものですが、


全体から神さびたエネルギーを強烈に感じます。

祭神は應神天皇、神功皇后などですが、


背後には後瀬山がそびえており、


山から放たれる気が物凄いため、


もともとは山自体が御神体であっただろうことは容易に感得できます。

古い石灯籠などの寄進者の名をみると、

そのほとんどが大阪、あるいは京の商人でした。

「大阪 吹田良介」とあります。


この地が御食国であり、


北前船の重要な寄港地であったことをあらためて感じさせれらます。


かつては多くの船や人が行き交ったことでしょう。

参道には丹後街道の古い道標があります。


海陸両道の要衝だったことが偲ばれます。

後瀬山がそびえます。


かにかくに人は言ふとも若狭道の

   後瀬の山の後も逢はむ君  大伴坂上大嬢


後瀬山後も逢はむと思へこそ    

   死ぬべきものを今日までも生けれ  大伴家持


なぜ後瀬山が歌枕になったのか、


その成り立ちや由来は詳らかになっていません。

後瀬山が歌枕になったのは、


まず第一に、後瀬山が古代から信仰の対象だったからではないかと私は考えます。


このことについては、


いずれ「古志」誌上で詳しく論じたいと思います。


八幡神社は古代信仰の名残なのではないかと思うのです。


後瀬山の麓にはもうひとつ神秘的な遺跡があります。


次回ご紹介します。


良い一日をお過ごしください。






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俳句「古志」主宰

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