善光寺と一茶 4 弟子たち
善光寺シリーズ、今回が最後になります。
善光寺参道には一茶の友人や弟子たちが住んでいました。
(「北島書店」写真は「上原厳のブログ」より)
かつて「北島書店」という有名な古書店があった場所には、
一茶の弟子・上原文路(ぶんろ)の邸宅がありました。
白魚に我が腸(はらわた)の恥かしき 文路
文路は薬屋で屋号は「三好屋」。庄屋も務めました。
妻の春尾も一茶門。
文路邸は一茶の定宿になっていました。
一茶が51歳のとき、旅中、お尻にデキモノができて倒れてしまうのですが、
その際、75日間もこの文路邸で病臥しています。
文路邸には近隣の友人や弟子たちが次々と見舞いにやってきました。
見舞金、饅頭、蕎麦などの見舞いの品をたくさんもらった記録が残っています。
医師も呼ばれ、手厚い治療を受けました。
うつくしや障子の穴の天の川 一茶
有名な句ですが、これは文路邸で臥せっているときの作です。
ちなみにお向かいは小林反古の邸宅。穀屋を営む富商でした。
枇杷の葉の匂ひ淋しき扇かな 反古
文路に誘われたようで、反古も一茶の弟子になります。
かれら一茶の友人・弟子たちは、いずれも善光寺の町を支えた人たちです。
前回ご紹介した水路や貯水池の造成・管理にも関わったのではないでしょうか。
善光寺町の文化度の高さとともに、
当時の俳諧(俳句)文化の裾野の広さ、力強さを感じます。
善光寺、またいつかご紹介したいと思います。
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