亀戸天神 藤まつり
今日からGWです。
いかがお過ごしでしょうか。
先日、亀戸天神に足を運んでまいりました。
亀戸天神といえば、この時期は藤です。
例年、いまが見頃なのですが、ことしは花が早く、
「藤まつり」の時期にもかかわらず、
GWを待たずして、花じまいの風情でした。
写真はかろうじて残っている箇所を撮ったものです。
全体的には、
こんな感じでした。
地元の方のお話しでは、
昔は藤の房の長さは今の5、6倍はあったそう。
排気ガスなどの影響で木が弱ってしまったのだとか。
いまでも満開時は、なかなか壮観ですが、昔はもっとすごかったんでしょうね。
ここにも芭蕉句碑。さすが俳聖です。
しばらくは花の上なる月夜かな 芭蕉
江戸時代中期、大島完来らが建てたもののようです。
完来は大島蓼太の養子。雪中庵を継ぎました。
当時の代表的俳人です。
太鼓橋の上から藤棚を眺めた景色。スカイツリーが奥にそびえます。
ちなみに一茶もなんどか亀戸を訪れています。
二月や天神様の梅の花 一茶
茎立や天神様のむら雀
これらの句は江戸在住のころの作ですので、
亀戸天神の句ではないかと思うのですが、確証がありません。
猿回しです。
季語としては新年です。
「古志」新春鍛錬句会でしばしば亀戸天神を吟行していたのですが、
その折も猿回しが行われていました。
私の猿回しの句は毎年ここで授かったものです。
打ち合わせ中。
息ぴったりで、互いに信頼している感じが良かったです。
はじめまして。
私は誰でしょう?
5歳です。神です。
いわずもがな、御祭神、菅原道真公です。
本社にあたる西の太宰府天満宮に対し、
亀戸天神は東宰府天満宮とよばれていたそう。
福岡県出身者の私には、とても馴染み深い神様です。
菅原道真公(以下、菅公)は優秀な政治家であり、
同時に傑出した漢詩人、歌人でもありました。
しかし、藤原時平らの讒言に遭い、太宰府に左遷されてしまいます。
当地では衣食住もままならない日々を過ごし、左遷から2年後に没します。59歳でした。
菅公を偲ぶ梅紋。
菅公没後、恐ろしいことに、
讒言した政敵たちは、つぎつぎに命を落とします。
さらには朝議中に清涼殿(政務の場)が落雷を受け、
大納言藤原清貫をはじめ、要人たちに多数の死傷者を出しました。
「これら一連の厄災は道真の怨霊による祟り(たたり)だ」ということになり、
ついに天神様として祀られることになったのです。
古代より日本には敗者を祀る風習がありました。(もちろん多くの神は勝者ですが)
記紀神話のスサノオやオオクニヌシも政争の敗者であり、
祟りを恐れて祀られたといわれています。
人びとの恐れが神を生み出してきたわけです。
菅公もそうして神になられました。
いまではありがたい勉学の神様です。
負けた者が結果として神になる。
そして後世の人びとに慕われる。
逆に勝者は歴史のなかで人間のまま生き続け、蔑まれるか、忘れ去られる。
なんとも皮肉なものです。
醜く人を追い落とすくらいなら、美しく負けたほうがいいですね。
流れ木とたつ白浪と焼く塩といづれかからきわたつみの底 菅原道真
【意訳】「漂着する流木、暴風にちぎれ飛ぶ白波、あかあかと焼かれる塩。
いずれも海浜のものであるが、このうちどれが辛いだろうか。
いや、海の底に沈んでいる私の辛さとくらべれば、どれもマシだろう。」
えもいわれぬ凄みがあります。
どん底からの絶望の叫びです。
東風吹かば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春な忘れそ 菅原道真
菅公といえば、この和歌がいちばんに思い浮かぶのではないでしょうか。
左遷された菅公を追って梅の木が宙を飛んでいく「飛梅伝説」も有名です。
「飛梅」ではありませんが、境内の梅はすっかり実になっています。
すがすがしいです。
撫で牛です。
撫でると頭が良くなるそうです。
病気も平癒するそう。
画面越しにご利益があるかはわかりませんが、
みなさまの学運向上とご健康を心よりお祈り申し上げます。
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