秋月の乱 決起の地
いかがお過ごしでしょうか。
秋月のつづきです。
筑前の小京都として、静かな佇まいをみせる秋月ですが、
幕末から明治初期にかけては、とても血なまぐさい歴史が残っています。
ここ西福寺跡は秋月の乱の決起の地です。
秋月の乱は1876年(明治9)に起きた不平士族たちの反乱です。
明治政府に反発して起こしたもので、
急速な西洋化への反対、士族の待遇への不満、征韓論支持などが背景にありました。
神風連の乱に呼応したもので、200名ほどがこの西福寺に集結、
豊前豊津や萩の不平士族たちと連合すべく、ここから出発しました。
そして乃木希典率いる明治政府軍と豊前豊津で戦闘になりますが、
西洋式の兵器と組織を導入した明治政府軍に完敗してしまいました。
秋月党は当初、平民主体の政府軍のことを百姓兵と侮っていましたが、
その結果は皮肉なものになりました。
古い価値観にしがみつくエリート主義の末路を感じさせます。
急速に変わっていく社会に対して、不平不満が溜まっていたことは、
よくよく理解できますし、同情できるのですが、
現代の目から見ると、秋月党のその思想はあまりにも固陋で、
その行動もひたすら暴虐的で品性に欠けたものにしか見えません。
あたりまえのことですが、暴力などはもってのほかですし、
いつの時代も世の中を動かすのは簡単なことではありませんね。
つづきはまた明日。
どうぞ良き一日をお過ごしください。
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