墨染寺 鬼貫親子の墓
伊丹のつづきです。
曹洞宗・華岳山墨染寺。
ここに伊丹の俳諧師・上島鬼貫の故郷墓があるということで、
訪れてみました。
平安時代の創建。もともとは七堂伽藍を構える巨刹だったようですが、
戦国期、荒木村重による有岡城の戦いで焼失。
こじんまりとした現在の規模となりました。
こちらの石灯籠、
元禄七年(1694年)の寄進。
鬼貫の時代のものですね。
寄進者は「稲寺屋」とあります。これは現在の剣菱酒造です。もともとは伊丹にありました。
10月でしたが、空蝉。
立派な鬼貫碑。鬼貫がいかに地元で大事にされてきたかがわかります。
そして句碑。
秋ハ物の月夜烏はいつも鳴 鬼貫
こちらは鬼貫の故郷墓。
隣りに並んでいるのは、鬼貫の一人息子・永太郎の墓です。
鬼貫は永太郎を溺愛していましたが、6歳で亡くなってしまいました。
この秋は膝に子のない月見かな 鬼貫
の句を詠んでいます。
土に埋めて子の咲く花もある事か 鬼貫
鬼貫の墓は大阪天王寺の鳳林寺にありますが、
そこから遺髪もしくは分骨を収め、親子墓としたとされています。
まことにあわれ深いお墓でした。
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