仙厓と八丁兵衛 正定寺 @博多上堅町

きのうの続きです。

聖福寺を出て、御笠川(石堂川)へ。

入り組んだ都市高速が見えます。

石堂橋からの眺め。

橋の袂には光安青霞園茶舗。博多の老舗です。


喫茶もできますので、立ち寄りたいところですが、

今回の目的地は正定寺

上堅町にある小さなお寺です。


ここに魚問屋「西濱屋」の主人だった博多八丁兵衛(西頭徳蔵)のお墓があります。


八丁兵衛は天保時代の人。


奇抜なアイデアマンであり、博多どんたく(博多松囃子)の創始者とされます。


そんな八丁兵衛ですが、盛大に生前葬を執り行いました。

そのときに建てられたのがこのお墓です。


友人であった仙厓にその名前を揮毫してもらい、墓碑に彫っています。

仙厓の力強い筆跡。


しかし、よく見ると「八丁兵衛」ではなく「八丁へ」となっています。

なんでも「お前に「八丁兵衛」はもったいない。


「八丁へ(屁)」でちょうどいい」と、


ふざけて仙厓が書いたのだとか。


八丁兵衛も遊び心のある人(奇人!?)でしたので、


これを気に入って、そのまま「八丁へ」を墓碑にしました。

こちらは当時の西濱屋。(画像は西濱屋HPより)


いまも西濱屋は商いをされています。

こちらは仙厓が描いた八丁兵衛。


糶りの様子で、鯛を手に提げています。

仙厓は俗味を感じてしまい、


もともとはあまり好きではありませんでしたが、


年を重ねるごとに、気になる存在になってきました。

八丁兵衛とのエピソードを聞くにつけ、


博多という風土なくして、仙厓は無かったのではないかと思います。

正定寺の蘇鉄。

どうぞ良き一日をお過ごしください。

大谷弘至 official site

俳句「古志」主宰 和光大学俳句部顧問

0コメント

  • 1000 / 1000