信州高山村「水石亭」丸きこそ世はうつくしけれ
久保田春耕は高山村紫の大地主。
一茶の弟子であり、経済的支援者でもありました。
一茶は春耕のもとへ足繁く通っており、
春耕宅におよそ136泊しています。
ちなみに高山村には一茶を慕う門人が20人ほどいました。
一茶はこの「水石亭」でかれらと歌仙を巻いたり、俳諧談義をしたのです。
久保田家の敷地から、当時のままの形でこちらへ移築されています。
久保田家は一茶館のすぐ隣。
このあたり一帯はもともと久保田家の土地でした。
他人の土地を踏まずに隣町の小布施まで行けたそうです。
いまではぶどう、りんごなどの果樹園が広がっています。
「水石亭」は春耕の父、兎園が建てたものです。
兎園もまた高山村の開拓に大きく貢献した人物で、
かつ俳諧を嗜む文化人でもありました。
兎園はとても洗練された人柄だったようです。
奥に印象的な丸窓が見えます。
これは兎園のこだわりです。
水石亭の裏側。白いのが丸窓です。
そしてこれらの丸い石、すべて兎園のコレクションなんです。
兎園は丸いものにこだわりがありました。
角張ったものが大嫌いで、丸いものが大好き。
それは世間や人間に対してもそうだったようです。
一茶は兎園が語ったことばとして、次のものを紹介しています。
切石の四角張りて、物ごと理屈に言ひ落とさんより、「丸きこそ世間は美しけれ」。
四角張ってなんでもかんでも理屈だてて
相手をねじ伏せよう、論破しようとする世の中よりも、
「丸きこそ世間は美しけれ」だというのです。
じっさいに兎園は窓を丸くし、丸い石を蒐集。
そして茶飲み話でも角張った話を嫌ったそうです。
もうお気づきかと思いますが、
「水石亭」の名の由来もここにあるわけです。
水によって磨かれて丸くなった石、という意味の水石ですね。
こちらは客間。
ふつう隠居部屋には客間は作らないのだそうですが、
こちらは兎園や春耕を慕ってあつまるお客さんのために設えたもの。
一茶もここで寝泊まりしたのではないでしょうか。
「丸きこそ世間は美しけれ」。
現代人の心にも響くことばではないかと思います。
どうぞ良き一日をお過ごしください。
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