釜屋堀
おはようございます。
ようやく秋らしい気候になってきましたが、
いかがお過ごしでしょうか。
江戸時代初期、太田氏釜屋六右衛門と田中氏釜屋七右衛門という鋳物師が、
近江からこの地に移り住み、ここで鍋や釜を作って売る商売を行っていたことから、
「釜屋堀」と名がつきました。
日用品の鍋釜だけでなく、梵鐘や仏像も手掛けました。
いまではふつうの公園です。
目の前の通りの名は「釜屋堀通り」。
土地の記憶としてその名が残っています。
場所は横十間川沿いで、すぐ近くで小名木川と交差するあたりです。
いずれも江戸という都市における主要な運河でした。
江戸時代初期に人工的に作られたものです。
ですので、ここで作られた鍋釜はこれらの運河を使って、
当時の中心地・日本橋まで舟で運ばれたと思います。
おそらく商品流通にあたって、運河(舟運)を利用するために、
かれらはこの地を商売の拠点として選んだのではないでしょうか。
江戸の生産と流通のシステムの一端が垣間見える場所だと思うのです。
クローバー橋
ここで運河が交差します。
ちなみに豊洲〜日本橋間で「舟運通勤」の試みが始まるとのこと。
"舟運通勤"が25日から可能に 「日本橋~豊洲」航路 所要20分 週3日夕方のみ運航
江戸以来の運河の価値が見直され、
有効利用されていくことはうれしいことです。
どうぞよき一日をお過ごしください。
0コメント