福岡・中洲

三連休の最終日、みなさま、いかがお過ごしでしょうか。

上川端通商店街


「飾り山笠」ですが、ここの流では、じっさいにこれを舁いて走ります。

戦後、電線が整備されたことにより、


背の高い山笠を走らせることができなくなり、


現在のように「飾り山笠」と「舁き山」に分かれてしまいましたが、


もともとは、どの流も背の高い山笠を舁いて走っていました。

「お汐井取り」が終わったので、中洲へくり出しました。

中洲流の飾り山笠です。

裏側も立派です。

中洲のど真ん中です。


この光景が見られるのも、この時期だけです。

ただ、中洲へくり出してみたものの、


あいにく日曜日のため、定休日のお店が多く、閑散としています。

直会(なおらい)です。ここは中洲流です。


翌日は「流舁き(ながれがき)」を控えていますので、


コミュニケーションを取り、組織として一体感を高める必要があります。


これも大事な神事です。


(どの流もすごい量のアルコールが運びこまれていました)

というわけで、わたしたちも直会です。

中洲の「宝雲亭」という餃子屋さん。

昭和24年創業です。博多一口餃子の発祥の店といわれています。

行きつけの店です。


コロナ禍以前も、一人でよく来ました。

シンプルですが、とてもおいしいです。


大衆的で居心地のいいお店なのですが、


ここの創業者はずいぶん突き抜けた人物だったようで、


「朝日新聞」の記事にもなっています。


博多一口餃子生んだ「最後の大陸浪人」 戦前戦後を駆ける数奇な人生


真武(またけ)信幸という人なのですが、


1916年生まれ、戦前は馬賊にあこがれ中国満州に渡り、


ノモンハン事件の際には、


遊牧民のテント式住宅パオで暮らし、


モンゴル人のふりをして諜報活動を行ったそうです。


戦後はインドネシアで現地の教育に携わり、


のちに日本へ帰ってきて、


生活のために「蒙古風餃子」として「宝雲亭」を開きました。

こうしたお店の歴史を私が知ったのは、つい最近のことなのですが、


いろいろ納得するところがありました。


一見、なんでもないお店ですが、


中洲という夜の街の奥深さを体現したようなお店です。


どうぞ良き一日をお過ごしください。

大谷弘至 official site

俳句「古志」主宰 和光大学俳句部顧問

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